ディズニーの人気アトラクションも実は万博のパビリオンだった

 さまざまなものが登場した万博。開催の狙いとして4つが挙げられます。

 1つ目の目的は、テレビやネットがない時代の“発表会”として、貿易のきっかけ作りのために自国の技術力を売ることです。1873年のウィーン万博に日本が参加したときには全国の工芸品を集めて展示を行いました。
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 2つ目は外交のため。渋沢栄一が参加した1867年のパリ万博は、幕府の使節団が戊辰戦争に備えフランスから資金提供を受ける目的で参加しました。しかし、この時は薩摩藩や佐賀藩も参加し、幕府側は結局資金提供を受けることはできませんした。

 負の側面として、1958年のブリュッセル万博までは「人間展示」というものもありました。例えば、ベルギーの植民地支配を正当化するため、当時支配していたコンゴの村の一部を再現し住民ごと展示していました。
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 3つ目の目的は開催国の街の発展。1889年のパリ万博では、今やパリのシンボルとなっているエッフェル塔を建設。1970年の大阪万博では、千里ニュータウン、大阪モノレール、北大阪急行、中央環状線などが開発されました。

 商業主義が台頭した1900年代半ばからは、ビジネスの目的も加わります。1970年大阪万博では企業パビリオンが22館登場(2025年大阪・関西万博は13館)。

 ちなみにディズニーランドも万博と深い関わりがあります。米・フロリダにあるディズニーワールドにはいろいろなテーマパークが集まっていて、その一つ「エプコット(センター)」は“常設の万博”と呼ばれるくらい世界各国のパビリオンがあり、いつでも万博を楽しめるコンセプトになっています。

 ディズニーの人気アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」も1964年に非公認で行われたニューヨーク万博のパビリオンを移設したものです。
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 また、1970年の大阪万博では、アメリカ館ではアポロ12号が持ち帰った月の石が展示されましたが、同じように盛り上がりを見せたのがソ連館の宇宙船ソユーズの展示でした。冷戦時代に宇宙技術を万博でも牽制しあっていたのです。