東京オリンピックがあった1964年に開業

夜はいつも満席。
常連客だけでなくときには若者もふらりと立ち寄ります。
この日は、飲み会の二次会で立ち寄ったという若者の姿がありました。

訪れた客:
「初めてです。通りすがりで」
「お腹がすいていたので」

当時は若かった客が、何十年も経ってから、また店にやってきたこともあるといいます。

大分軒 内田菊治さん(91):
「山形大学の内科医長している人がロールキャベツだけひとつ食べにくる。学生の頃は銭無くて食べられなかったって。うれしい。人の機微ってのはこういうことだろうな」

内田さんは、九州の大分県出身で水産高校の職員でした。
30歳のときに立ち寄った仙台で、屋台の雰囲気に魅かれ移住し、1964年に出身地の名前をとって「大分軒」を始めました。

当時、仙台市中心部には屋台がひしめきあっていました。

大分軒 内田菊治さん(91):
「当時は80軒くらいあった。至るところにあった」