顔面周囲だけで出せない「動き」の表現

そうしたディスカッションなどを経て、現場に入った後の演出については、「動きをつける」ことにも注力する。「あっちに行って、次はこう行って、と動きをつけます。映画やドラマは、もともと〈運動〉を捉えていくメディア。顔面周囲で感情を表現するだけが役者ではないと思っているので、僕は動きでドラマを作っていきます。動いてもらった上で、役者がやり辛そうだなと感じればやり易いように変え、映像構成を組み上げていく。その意味では、キャッチャーではなく、ピッチャーですね」と、現場での動きを明かす。

ここでも、「3人」という単位には特にこだわらず、演出していると明かす。意識の先には、情報過多な社会だからこそ、今表現したい自身のこだわりがある。「テレビドラマはますます古典映画の対極になってきていると、僕は感じています。映画は、観ている人のアナロジー(類推)をくすぐってくれる側面があって、今のドラマは、説明的で直接的。カットも細かくなって来ている」と、演出を取り巻く現状を俯瞰して見ている。

拓三たちが暮らす家での様子を描く中で、「美愛と新平が隠し事をしているシーンがあるのですが、2人が拓三に背を向けて逃げるような動きをつけて、ほぼ1カットで構成しました。そうすることで、単に2人が隠し事をしているということ以上に、豊かなことが視聴者の無意識に染み込み、アナロジーを促すと思うんです」と、「動き」や1カットの重要性について触れる。「ある一定の尺を持った1カットの中で、みんながずっと背を向けていると、相互理解ができていないというところから、他者を獲得できてない、まだ自立できていない、と視聴者の想像を促す…というようなことは、ずっとやっています」と続ける。