巨匠の知恵を踏襲 「映画言語」を取り込む真意

時代の変化に流されず、大事にしたいもの——熊坂さんの演出の芯にあるのは、自身が影響を受けてきた古典映画の「言語」だ。その背景には、「今は、アドレナリンやドーパミン依存症のように、何か良い情報があるんじゃないかとずっとスマホをスワイプしてしまうような時代。今のテレビドラマの世界でも、何秒かに1回カットチェンジをすることでドーパミン放出を促し見続けさせる、そういう作られ方をしているものもあると聞きます。でも人間の脳は、何万年も前から進化していない。ある一定時間の中で脳が処理できる情報量は決まっているので、処理できないほどの情報量がドバドバと入ると、記憶にも印象にも全く残らないのではないか」との思いがある。

「テレビドラマが、誰かの人生を変えるきっかけとか、何かを考える契機になってほしいと思っています。80年代や90年代のテレビドラマには、印象を強く残していくものがたくさんありました。流れては消えていく、というものではなくて、記憶に残って、その人の人生の糧となるようなテレビドラマを作りたい。だからこそ、今のテレビドラマにも昔の映画人が培ってきた技術を擦り込んでいくのは、大事なのではないかと思っています」と話す。

「昔の映画を観て、その〈映画言語〉を入れていくこと」と、専門的な言葉も重ねる。熊坂さんにとっての映画言語とは、「昔の巨匠たち、D・W・グリフィスやハワード・ホークス、ロベール・ブレッソン、ダグラス・サーク、小津安二郎…、世界中の数多くの巨匠たちが作ってきたもの。役者の動きを付けるのも、その一つ」。

「新平が帽子をかぶっているシーンがあるのですが、この帽子も、このドラマの中では移行対象です。帽子は昔の映画にたくさん出てきます。小津作品にもグリフィスの映画にも」と例を挙げ、「帽子は頭を保護するもの。新平がこれから社会と対峙していかなければいけない中で、無防備に真っ裸ではいられない、という時にかぶっている。映画言語を知っている人だとしたら、〈彼はいつ帽子を脱ぐんだろう?〉と捉えると思います」と説明する。

「拓三がスカーフを脱ぎ捨てるとか、新平が帽子を脱ぐとか、互いに向き合っていないとか、そういう映画言語は、音楽で言えばジャズに似ていると思います」と例え、「〈ジャズ・ランゲージ〉と言うのですが、昔の巨匠たちの演奏をトランスクライブ(耳で聞いて採譜)して、自分のものにしていく。今のドラマ界にもおそらく大事なこと」と捉えている。

役者を母性で受け止めるキャッチャーでありながら、時には場を動かすピッチャーになり、巨匠たちの知恵を惜しみなく「オマージュ」する体現者でもある。「先人たちが作ってきてくれたものをたくさん観て、学んで、踏襲していきたい」と、ドラマ界の先を見据える。