少ない情報の中、避難を即決 元所長「(職員を)信じていた」

当時、閖上保育所の所長だった佐竹悦子さん(73)。

閖上保育所 元所長 佐竹悦子さん
「(閖上保育所は)あの辺りにあった。すぐそこが広浦港という閖上の港、向こうが海になります。(海は)子どもにとっては良い遊び場だった。砂浜で遊んだり」

揺れが襲ったのは午後2時46分。園児たちはお昼寝の時間で、パジャマ姿でした。

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「よちよち歩きの子どもたちから就学児までいたけど、『津波が来るかもしれない』という情報は入っていて。だけど、実際は保育所にある防災無線も稼働しなかったので、地震のために。はっきりしたことは分かっていないんです」

そんな中、佐竹さんは「避難」を即決し、三つのことを職員に伝えました。

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「(1)逃げます、(2)車を持ってきてください、(3)小学校で会いましょう。保育所に残ってたのは54人、その子どもを5台の車に乗せた」

職員が園児らを車に乗せて向かったのは、1キロ以上内陸にある閖上小学校。佐竹さんは全員が出発したのを確認し、最後に保育所を後にしました。

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「心配はしてなかったです。信じていたというよりは絶対行くだろうと思っていて」

今は倉庫が建つ場所に、閖上小学校はありました。倉庫の高さほどの3階建ての校舎の屋上に避難、その約30分後に津波が来たといいます。

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「ヘドロと家と車とがれきが一気に来るので、何が起きているのか判断できないというか、一瞬では理解できなかった」

小川キャスター
「海の様子を、見せるわけにもいかないという」

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「そうですね、見せてなかったですね。大人で囲んで(園児を)真ん中に置いていたという感じ。トラウマにさせたくないというのはありました」

寒さをしのぐため、学校の教室で夜を明かし、その後、園児全員を保護者に引き渡しました。

閖上保育所 元所長 佐竹さん
「『守り切った』とか『感動』とかはなかった。朝お預かりした命は夕方お渡しするまで責任がある。私たち職員の考え方というか仕事・目標」