東日本大震災で津波に襲われた宮城県名取市で、54人の園児を避難させて命を救い、「閖上の奇跡」と呼ばれた保育所がありました。当時の所長や生き延びた元園児の証言から浮かび上がる教訓とは?小川彩佳キャスターの現地取材です。

「小さいうちから身につけられたら」月1回の避難訓練

仙台市から車で30分ほど沿岸にある、名取市閖上地区の保育園「閖上保育所」には0歳から6歳の園児68人が通っています。

園児
「こんにちは」

園の庭で元気いっぱいに遊ぶ中、この日行われたのは月1回の避難訓練。

「地震です、地震です」

地震が起きたという放送が流れると、子どもたちはすぐに先生のもとに集まってしゃがんで頭を守ります。

閖上保育所 佐藤雅子 所長
「津波がくるかも知れないので、高いところ、閖上小中学校の上の方に避難したいと思います」

園児たちは隣の子と手を繋ぎながら、向かいにある避難先の閖上小中学校まで歩き、約2分ほどでたどり着くことができました。大津波警報が出た際は、校舎の4階に避難します。

小川キャスター
「避難訓練のとき大事なことは?」

園児
「(炎や煙などに)近づかないこと」
「あと走らないこと」
「押さないこと」
「地震の時、テーブルの下に隠れなかったら物がいっぱい降ってきちゃう」

閖上保育所では、避難の際の注意点などを伝える紙芝居を取り入れるなど、防災に力を入れています。

閖上保育所 佐藤 所長
「ここは海に近い場所で、14年前の東日本大震災を受けて、地震と津波というところで(命を)守るためにはこういう風に避難するんだよということを、小さいうちから身につけていけたらいいというのを一番に考えて」

津波から園児54人を救った“閖上の奇跡”

漁師町として栄え、名取川の河口付近に街が広がる閖上地区。

「現在、名取川の状況、津波が川を遡上しているのが確認できます」(2011年3月11日)

閖上地区は津波で壊滅的な被害を受け、名取市内の死者の8割にあたる700人余りが犠牲になりました。

津波が向かってくる様子を捉えた写真には、閖上保育所も写っています。移転後の今と違って、海の近くにあり津波の被害を受けて跡形もなく流されました。

しかし、この大津波が襲う前に1歳から6歳の54人の園児全員が避難し、犠牲者は1人も出ませんでした。

語り継がれる閖上の軌跡はなぜ起きたのか。