東日本大震災から14年。福島県で、原発の廃炉とともに、もう1つの大きな課題となっているのが、除染土の行方です。
大熊町と双葉町にまたがる中間貯蔵施設には、およそ1400万立方メートル、東京ドーム11杯分の除染土が保管されています。法律で定められた最終処分の期限は2045年3月と、20年後に迫っています。
その最終処分への道筋は、2月に政府が示した工程表の案では、最大の焦点である
最終処分の候補地の選定については「2030年ごろ以降」とされたのみで、具体的な方針は示されませんでした。この問題の根幹部分を、いわば「先送り」しているとも言えます。この状況を、住民はどう見ているのか。その声を聞きました。
復興のため…自宅の土地提供を決断
2月14日の大熊町。 除染土を運ぶトラックが行き交います。 ここは、中間貯蔵施設の中です。 福島県内の除染土を受け入れる地域ですが、かつては、人が暮らす街でした。

松永さん「だんだん、元の姿ってどうだったっけというのを忘れそうで。 なんか嫌ですね」
大熊町の松永秀篤さん(72)。 自宅のあった土地を、中間貯蔵施設として国に提供しました。

海沿いにあった自宅は、津波で流されましたが、敷地の中には、暮らしのあとが残されていました。
松永さん「あ、囲炉裏は残っていたんだ。これはね、囲炉裏でここで一家団らんと して、お魚焼いたり、鶏を焼いたりしたところなんだわ。みんな集まって。 にぎやかな家だったからね。家族がいっぱいで。ここと、そっちの居間で。戻ってくる気はあったから、避難先でも。ずっと海のそばで生活していたから、いまでもやっぱり海のそばがいいなって」
