「落としどころ探って」
長泥地区の元区長・鴫原良友さん。 国や村と住民の間に立って、除染土の受け入れを決めました。

鴫原さん「みんなで何回も話したけれど、国はそのとき、5~6年前ですか。帰還 困難区域を除染するとは言わなかったんです。でも、飯舘村では、菅野村長(当時)は、大熊、双葉と一緒に歩んでいたんでは、20年か30年かかるよと。解除になるまで」
鴫原さんは、国が避難指示解除の見通しを示さない中で、除染土を受け入れた経緯を説明。その上で、いまの心情を明かしました。
鴫原さん「一番いまきついのは、あなたたちは最終処分場ではないかと言われたときは、そんな気は俺はなかった。双葉・大熊は2045年に施設から出すという感覚でやっているけど、長泥は違うでしょ。ものすごくいまもきついです」
県外で受け入れへの理解が進まない中、 鴫原さんは最後にこう呼びかけました。
鴫原さん「何で、人のいるところさ放射能を持ってくるんだと。私たちも、大勢の ところに放射能を持っていけという気はありません。責任をとれとか、そういうことを言うんじゃなくて、もっとこう、被災者に寄り添うとか、できるだけ話を聞いてもらって、お互いに話をして、落としどころを探ってもらいたい」
中間貯蔵施設の稼働から10年。 除染土の行方は、いまも宙に浮いた状態が続いています。
中間貯蔵施設に土地を提供した松永さん「それは約束なんだから、県内から、どこであろうが、持ち出してほしいというのはありますね。それがやっぱりどこもなかったから、大熊、双葉で最終処分場になってくれませんかというのだけは、勘弁してというのはありますね」