日本と中国の国交正常化から50年を迎えた。それは台湾との断交の歴史でもある。田中角栄元総理の長女・田中真紀子氏と、台湾に密使として送り込まれた自民党元職員の男性がその舞台裏を証言した。

■「中国に自由に往来できるよう、お父さんは死を覚悟して行く」

50年前、中国に渡り日中国交正常化を果たした田中角栄元総理。その娘、真紀子氏が報道特集の取材に応じた。

田中氏はそれまで、外遊に真紀子氏を連れて行くのが常だったが…

田中角栄元総理の長女・真紀子さん
「ただし中国はダメだった。あの国、お父さん刺されるか、毒を盛られるか。2人が殺されてしまったらご先祖さんに申し訳ないので、だからお父さんは今回は1人で行くって。『お父さん約束違反だ』と言ったら『違う。必ず真紀子や色んな人たちが自由に往来が出来る時代を作るために、お父さんは死を覚悟して行くんだ』と」。

国交正常化には、いくつもの高いハードルがあった。当時32歳の民間人に秘策が託された。

“極秘”と記された文書。50年前、日中国交正常化をめぐり田中角栄総理と中国の周恩来首相が、北京でどんな協議をしたのかがつぶさに記されている。

懸案は台湾だった。

田中角栄 総理(当時)
「台湾は日中国交正常化後は戦争状態に戻ると言っているから、日本の総理としては困っている」

周恩来 首相(当時)
「台湾にいる連中は小さな波乱は起こすが、大きなことはできない。これを小細工と言う」

1945年、大戦が終結すると、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党・中華民国が内戦状態となった。その結果、共産党が勝利し「中華人民共和国」を樹立。一方、蒋介石の「中華民国」は台湾に逃れ、双方が正統な中国の代表であると訴えた。

これが「一つの中国」問題である。

日本は中華民国=台湾を支持。蒋介石は日本が負うはずだった戦後賠償の請求権を放棄する事でそれに応えた。

それでも田中角栄総理は、例え台湾との国交が絶たれたとしても中華人民共和国=中国と国交を結ぶことを急いだ。

田中角栄 総理(当時)
「私は日中両国が正常な状態になることが望ましい、ということは日本人全てが考えていることだと思います。そういう機運も熟してきた」

膳場貴子キャスター
「田中総理は総裁選に出る以前から、日中国交正常化に向けての準備をなさっていたのでしょうか?」

田中真紀子さん
「日本の国の発展のために、絶対に中国とは良い関係を作らなければいけない。しょっちゅう茶の間でも言っておりました」

1972年2月、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問。中国との関係強化に舵を切った。

日本も国際的な流れに乗り遅れてはならないとの焦りが急速に広がった。