「みんなで死のう!みんな一緒よ」布団の中で家族と身体を寄せ合った“強烈な記憶”
現在も、多くの住宅が軒を連ねる広島市西区の己斐地区…。八幡さんの住宅もこの地区にあり、原爆で半壊しました。当時8歳の小さな体は爆風に吹き飛ばされ、意識がもうろうとするなか、母・美弥子さんの叫び声を聞いたといいます。
「母はおしいれから、かけぶとんを引きづり出して、家族みんなの上に広げながら『みんなで死のう!みんな一緒よ!』ってもう悲壮な声で叫んだのです」

さらに爆弾が落ちてくるのではないか…。布団の中で家族とけがをした身体を寄せ合った強烈な記憶です。
「家族みんなで死ぬ、これが私の家族という温かい絆を子ども心に本当に感じてね。忘れられないですよ」

慣れ親しんだ自宅付近の河原は、多くの負傷者で埋め尽くされました。
「とにかく泣き続ける女の人がいた、河原も大混乱で水を飲みにみんな降りるじゃない、吹き飛ばされて流される人もいれば力尽きて突っ込んでいる人もいた」
広島市内中心部から己斐地区を結ぶ『己斐橋』…。火の海と化した街から逃げてくる被爆者の行列に足がすくみました。
八幡照子さん
「彼らの髪は逆立ち、全身大やけどの人もいました。土ぼこりにまみれ、腕から剥がれ落ちた皮膚はボロ布のように指先に垂れ下がっいました」