被爆者がいなくなっても、その体験を伝えるため、広島市は人工知能=AIを活用した応答装置の製作を進めています。証言を未来に残したいと製作に協力している1人の被爆者の思いを取材しました。

「どれだけ痛かったでしょう。どれだけ生きたかったでしょう。一瞬にして全てを失ったのです」

大きな照明の下でカメラを前に行われた被爆者の証言収録…。進められているのは事前に収録された証言映像からAIが適切な回答を選び応答する装置の製作です。被爆者と直接対話しているような体験ができる装置を目指しています。

「練習でも涙が出るんですけどね、その情景が浮かぶとね…。どうぞ何度でも撮り直しますのでおっしゃってください」

製作に協力しているのは被爆者の八幡照子(87)さんです。未来の子どもたちに二度と同じような思いをさせてはならないと、6年前から本格的に被爆証言を始めました。

「My name is Yahata Teruko. Thank you for coming all the way from America.
(八幡照子です。はるばるアメリカから来てくださりありがとうございます)」

英語でも体験を語ることができる数少ない証言者の1人です。

「On that fateful day, the sky overhead was clear and sunny, and it was a fresh morning. We lived 2.5 km from the Hypocentre in our family home in Koi Honmachi.
(あの運命の日、空は晴れていてさわやかな朝でした。爆心地から2・5キロ離れた己斐本町の自宅にいました)」