垣間見える“地震対策の思想が不十分だった時代背景”

「震度6」を想定すると、対策に費用がかかりすぎるということで、結局想定震度は「5強」とされた。取りまとめを担ったのは室崎氏だ。

なぜ高い震度の想定にしなかったのか―。

当時の考え方をこう説明する。「まずは震度5クラスに耐えられるような街にして、何年か経って見直しをする。次は震度6や震度7に耐えられる街にするという考え方でどうだろうか」と。

先述のとおり、1978(昭和53)年の宮城県沖地震の最大震度は仙台市の「5」だった。また、神戸市の地域防災計画には、地震についてほとんど書かれていない時代だ。

「震度5強でも取り組んでいただけるのかどうかと思っていた」と室崎氏は答える。そして、その答えには、地震対策や防災の思想がまだ不十分だった時代背景が垣間見える。