阪神・淡路大震災が起きる21年前、神戸市が地震学者らに依頼した調査報告書が「神戸と地震」だ。1974(昭和49)年に発行されたその結論は、断定的で明瞭だ。「将来都市直下型の大地震が発生する可能性はあり、その時には断層付近でキ裂・変位がおこり、壊滅的な被害を受けることは間違いない」。前回の記事「地下に潜む地震リスクの警鐘(1)」を読む

その4年後の1978(昭和53)年、人口の多い都市が地震に襲われた。宮城県沖地震だ。最大震度5を観測した仙台市の死者は16人。うち11人がブロック塀の倒壊によって亡くなった。住宅の全半壊は4385戸、ライフラインが停止するなどした。宮城県沖地震は、人口50万人以上の都市(当時)が初めて経験した「都市型地震」とされている。

その5年後、1983(昭和58)年に神戸市は「地震時における建物倒壊・出火・延焼危険度に関する調査研究報告書(神戸市震災対策調査)」を発行。1986(昭和61)年には「地域防災計画地震対策編」を策定し、地震被害の想定などを進めていく。

「神戸市震災対策調査」を担い、「地域防災計画地震対策編」では委員として議論に参加したのが、当時助教授だった神戸大学の室崎益輝名誉教授(80)だ。