子連れ女性批判にみる共通点
1970年代のベビーカー論争、1980年代のアグネス論争、2010年代の子連れ議員論争、2020年代の子持ち様論争は、それぞれ異なる時代や出来事に関するものだ。しかし、共通点がある。それは、《公の場に子育てを持ち込む女性を迷惑だとみなして罰しようとする》点だ。
たとえば、駅や車内という公共空間では、電車は職場に行くための手段であるのだから、通勤する人(主に男性)が家族の世話をする人(主に女性)よりも優先されるべきだ、ということだろう。議場や会社といった公的な職場では、仕事をしている人たち(主に男性)に、女性が私的な子育てで迷惑をかけるなということだろう。
このような主張は、お金を稼ぐための労働のほうが、家族のためのケア労働よりも価値が高いという考え方に基づいているといえる。そして、これまで公的な領域には男性が、私的な領域にはもっぱら女性が割り当てられてきた。
有償労働>ケア労働、公的な領域=男性、私的な領域=女性とみなして、公私の分離を超えて子育てを男性中心の公的な領域に持ち込む女性は罰するべきだ。そんな意識が、子持ち様論争に連なる一連の論争の根底にあるのではないだろうか。














