安倍晋太郎氏、落選を経験 より一層教団側と接近へ 選挙支援のお礼を述べたことも
1986年、統一教会と自民党の関係はさらに深まります。岸・福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれました。

安倍晋太郎外務大臣(当時・1986年7月の清和会総会)
「福田精神を、福田スピリットをしっかりと継承いたしまして…」
教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれます。
1958年に初当選した晋太郎氏には、落選の経験が一度だけありました。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい、元共同通信の野上忠興(ただおき)さんです。

元共同通信・野上忠興さん
「自宅に戻ってきたときに、家族全員集めて土下座して『こんなことになった』と『申し訳ない』と泣きながら頭を下げた。後に私にも言っていましたけれども、あれで『俺は人が変わった』と」
1987年に行われた総裁選では、竹下登氏と宮澤喜一氏と争いましたが…
記者
「竹下!竹下!竹下!決まった決まった!」
現職の総裁が次期総裁を指名する“中曽根裁定”で政権は竹下氏に。

安倍晋太郎氏
「いや、ほんとにさっぱりしましたよ。やるべきことはやった、ベストを尽くした」
しかし、胸中には期するものがあったようです。

元共同通信・野上さん
「(衆院選挙で)1回落ちたのが結果的にこういうことになったのかなと。(その後)『やっぱり数だ』と猛烈に動き出すわけですよね。入院中、胆汁を吸い取る管をつけながら全国を回って、二十何人も新人を当選させたりして、数を増やすわけですけどね」
身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していったのです。
勝共連合の会合で、選挙支援のお礼を堂々と述べています。

自民党 安倍晋太郎幹事長(当時)
「日本のために、そして共産主義を排除して、自由主義・民主主義を確立していくために、(勝共連合のみなさんが)働いていただいておる姿は我々いつも感銘を持って、感謝を持って受け止めておるわけです」