晋太郎氏が世を去るとパイプ消滅のように見えたが…祖父の遺志を受け継ぎ、晋三氏へ
ところが1990年代に入り合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化しました。議員の殆どは表面上、教団と距離を置くようになります。
1991年に晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えましたが…

安倍晋三氏
「志半ばで倒れました父・安倍晋太郎の意志を受け継いで、立候補いたしました」
父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選します。晋三氏の胸には、安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼き付いていました。
著書にも綴られた言葉。

「美しい国へ」安倍晋三著
「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らのほうではないか」
高校時代は、安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも…

安倍晋三官房長官(2006年)
「祖父が安保改定の張本人だったものですから、安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。先生はじめ、皆さん黙ったんですね。そのときに反対している人たちも、こんなもんなんだなと思ったのを思い出しました」
保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。
官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録も残っています。

教団関連団体のイベント 司会者
「岸信介元総理大臣のお孫様でいらっしゃり、現内閣官房長官、衆議院議員の安倍晋三様」
2006年に総理に就任しましたが体調を崩し、1年で退陣。けれど5年後に返り咲きます。

安倍晋三総理(TBSラジオ「政策情報 官邸発」より)
「私の祖父の岸信介もよく晩年、『もう一回総理大臣やったら俺はもっとうまくやるけどね』と言っていたんですね。今こそ私は身を捨てて、もう一度挑戦すべきではないかという決意をしたのが、大体おととし(2011年)の終わり頃くらいでしょうかね」

祖父の遺志を受け継ぐ覚悟でした。そして最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合ったのです。
2013年、統一教会からの選挙支援を確認したという安倍元総理。総理就任後、初の参院選でした。

政治ジャーナリスト 秋山光人さん
「本当に選挙は大好きな人だったですね。第2次安倍政権が戦後史上で最長の政権だったわけですけど、その秘訣というのは、やはり選挙に勝ったことですね。常に勝ち続けると」
飽くなき執念があったと言います。

政治ジャーナリスト 秋山さん
「もっとすごいのは、彼(晋三氏)は3期目も視野に入れていたと思いますよ。あんまり人には言ってないけど彼は。漏れ聞いたことありますね」