久保田要さん:
「旧14号棟から外へ出る場合、通路のどちらへ進んでも岩礁のある山道へ出ることができるようになっている」

久保田さんは昭和に定められた建築基準法の二方向避難が、明治のこの時代から取り入れられていたと指摘しています。

久保田要さん:
「炭鉱という火災の危険性の高い場所だからこそ、人命優先の人に寄り添った建築になったと考えられる」

日本初の鉄筋コンクリート造りの建て物が並ぶ小さな島の形は、厳しい自然環境、増える人口、生活の利便性、そして何より炭鉱という危険と隣り合わせの場所という様々な環境要因から「自然発生的に、なるべくしてなった在り方」と久保田さんは言います。