北川被告「警察でもどこでも突き出してください」から一転「私の命に代えてやめていただきたい」

数日後、その苦悩を綴ったメールを送ると北川被告からは、後日、こんな言葉を告げられたという。

北川被告
「警察でもどこでも突き出してください。時効が終わるまではちゃんと対応します。食事をご馳走したりします」

北川被告の性加害に対する認識に落胆したものの、すぐに被害を訴えることは出来なかったとAさんは話す。

被害を訴える 検事Aさん
「当時、私はまだヒラの検事で、力のない一検事が訴えたとして、皆が彼の言い分を正しいと言っていくのではないかという怖さがありました」

事件からおよそ1年が経過した、2019年10月。

性加害の理由を書面で欲しいとしたAさんに、北川被告は、事件を口外しないよう求める直筆の手紙を送ってきたという。

北川健太郎被告からの手紙(抜粋)
「この被害を表ざたにすれば、私は絶対に生きていくことはできず、自死するほかないと決意している。大阪地検の検事正による大スキャンダルとして、組織は強烈な批判を受け、立ち行かなくなるので、私の命に代えてやめていただきたい。以前からあなたのことが好きだった。あなたの同意があると思っていた」

翌月、北川被告は定年を前に“一身上の都合”を理由に退職した。

その4年後の2023年12月、性被害の後遺症に苦しみ続けたAさんは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断され、休職を余儀なくされた。

“検事としての尊厳を取り戻し、前に進みたい”―。

2024年に入り、Aさんは自ら受けた被害を検察幹部に相談。刑事告訴に踏み切ることを決意した。

そして、6月。
準強制性交の疑いで北川被告は検察に逮捕・起訴された。

北川健太郎被告
「公訴事実を認め、争うことは致しません。被害者に重大で深刻な被害を与えたことを心から謝罪したいと思います」

10月に行われた初公判では罪を認め、Aさんに謝罪した北川被告。

だが12月に入り、突然、「無罪」を主張する方針に転じたのだ。

その理由について、担当の弁護士は「北川被告には、Aさんが抵抗できない状態だったという認識はなく、同意があったと思っていた」と説明したうえで、こう付け加えた。

中村弁護士
「その後の一部の事件関係者に生じた情報漏洩等に係るあらぬ疑いや、検察庁に対する組織批判により(北川被告は)自らの記憶と認識に従って主張することにしました」