百合子さまは、関東大震災のあった1923年に生まれ、大正・昭和・平成・令和と、4つの時代を生きられました。
1941年に女子学習院本科を卒業すると、その年の秋、18歳で、昭和天皇の弟、三笠宮さまと結婚。3男2女、5人のお子さまに恵まれました。
これは上皇后・美智子さまが結婚の前の年に、挨拶のため皇族方を訪問された際の映像です。三笠宮ご夫妻も、お見送りで会釈をされています。
1971年のイラン訪問では、ご夫妻の仲睦まじい姿も。訪問先でカメラを手にされていた三笠宮さま。合間には記念撮影でしょうか、百合子さまにもカメラを向けられていました。
1988年、次男の宜仁さまが戦後初めて独身の皇族として宮家の創設を許された際には。
「天皇陛下のおぼし召しで、宜仁に桂宮の宮号を賜り、独立いたしましたことを心から感謝いたしております」
母として、感謝を述べられた百合子さま。
しかし、2002年に三男の高円宮さまが47歳の若さで亡くなり、その後も長男の寛仁さま、次男の桂宮さまと、3人の息子に先立たれました。
2011年の結婚70年に際し、百合子さまは、夫・三笠宮さまへの気持ちを次のように示されました。
百合子さま
「いつもいたわってくださった宮様のおかげで、今日まで長生きできました事、感謝の言葉もございません」
一方、三笠宮さまは2015年、「妻・百合子に感謝しつつ、楽しく穏やかな日々を過ごしていきたい」と感想を寄せていましたが、翌年、100歳で逝去されました。
百合子さまは2年前、新型コロナに感染したほか、今年3月からは入院生活を続けられていました。
最後に公の場に姿を見せられたのは、去年1月の新年一般参賀。車椅子に座って出席されました。
百合子さま(去年 100歳の誕生日で)
「これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます」
百合子さまは、皇室では最高齢となる101歳で逝去されました。
注目の記事
「ふるさと納税の返礼品に備蓄米」村長が認め さらに産地めぐる疑問が 熊本・西原村

福岡初のイスラム教徒へのヘイト街宣 1000年続く伝統祭礼「筥崎宮の放生会」を汚してまで…

「白いバースデーケーキが欲しい」食物アレルギーがある息子の願いが叶った日 【笑顔のケーキをあなたに 前編】

快適な秋は短くすぐ冬に…?今年も「四季」→「二季」か 22日冬の長期予報発表前に予報資料から見える“サイン”とは tbc気象台

「現金を使えない子が増えた」“新潟唯一の問屋”を継いだ駄菓子屋店主が日々感じる“現代の子ども”と時代を超えて続く“小さな社会” 新潟市秋葉区

「お昼ごはん、何が食べたい?」と聞かれたら…どう答える?地雷ワードと神ワード 共働き世帯増も、家庭内の役割は変わらず?
