教師とボウラーの二刀流 自らの社会経験を生徒へ

視覚に障害のある生徒が通う都内の特別支援学校で、青松さんは社会科の教師をしています。
青松さんは生まれつきの目の病気で、中学生のときに完全に視力を失いました。

青松さん
「見えている状態というのがよく分からないので、これを障害と思うかというと、特に思っていない。人それぞれ得意・不得意とかそういうものもいろいろあると思うんですけど、それと同じように社会の中で適応してくかということは、常に考える必要があると思っています」

大学卒業後は一般企業でシステムエンジニアをしていました。教師になろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
青松さん
「アメリカに留学したり、就職もして一般企業で働いて、それまでの経験がいっぱいあるので、これを後輩たちに伝えて、社会の中で活躍できる視覚障害者をたくさん育てたいというふうに思うようになって」

そして、教壇に立つ傍らボウリングの腕も磨き、視覚障害者ボウリングの世界選手権で銅メダルを獲得。そんな青松先生に生徒は…
生徒
「青松先生みたいにいろいろこなして、自分の意見もしっかり言えて、持っている大人になりたい」