「野田佳彦の一番弟子」の戦いは

まず水沼氏は「挑戦者」のたすきをかけ、朝と夕方、駅に立ち、市民の“声を聞くこと”に重きをおいて活動をはじめた。師匠の野田氏も、毎朝の駅頭活動を政治活動の原点と位置付けている。水沼氏も野田氏の背中を追い、およそ30か所の駅を順番に回った。

そして、“一番弟子”、“後継者”、“秘蔵っ子”として、あらゆる集会に野田氏に連れられ顔を出し、知名度を高めていった。

その姿は、他陣営から「水沼氏の『挑戦者』のたすきは、他の候補に対しての挑戦ではなく『野田氏の実績への挑戦』という意味なのではないか」と言われるほどだったという。

〈駅前でチラシを配るなど活動をする野田佳彦代表と水沼候補〉