石破さんは、連立政権の選挙制度改革案に賛成票を投じました。

こうした経緯で石破さんは自民党を離党、その後新生党、新進党に参加しますが、1996年の衆議院選挙は再び無所属で立候補します。


「今回私は色々なご批判を受けながら、色々なご指弾を浴びながら、無所属で立候補いたしました。本当のことを有権者に語りたい。」

選挙公約を見限って、選挙直前に新進党を離党、初めて小選挙区となった鳥取1区で当選を果たします。

実はこの時自民党は、鳥取1区に立候補を予定していた候補を比例に回し、言わば席を空けて石破さんに復党を促していましたが、石破さんは無所属のまま戦いました。

復党したのは選挙の半年後、当時の心境を石破さんは「針の筵」と表現しています。