只野さんの苛烈な経験とは
あの日、避難が遅れ児童と教職員は50分間、校庭にとどまり、津波で84人が犠牲となった大川小学校。子どもたちが避難できなかった校舎の裏山では防災の大切さを伝える言葉に力がこもります。

只野哲也さん:
「50分間で津波が来るまでの間、どこに逃げるかを決断するのは人。いかに大切な友達とか仲間とか家族とか、自分の命を守るかっていうのを、常日頃じゃなくてもいい。ふとしたときに家族で話し合える時間をとってもらいたいな」

只野さんは、祖父と母、小学3年生だった妹の未捺さん(当時9)、そして多くの同級生を亡くしました。あの日を境にふるさとには悲しい記憶もありますが、この場所での出来事だけでなく校舎に詰まった思い出も伝えています。

只野哲也さん:
「大川小学校のミニトマトってなかなか赤くならないって有名だったんだけどなんでだと思う?」
小学生:
「太陽が当たらないから?」
只野哲也さん:
「答えは簡単で、てっちゃんが全部食べちゃうから。笑っていいよ?」
参加した小学生は…。
小学生:
「同じ小学生で亡くなった子がいて心が痛かったし悲しい気持ちになった」
「今を当たり前だと思わないで気を引き締めていきたい」