沈んだ表情の父親 泣き崩れた母親

新型コロナウイルスの流行に伴う渡航制限が緩和された2021年8月、くらんけさんは父親に伴われて、スイスのチューリッヒ空港に到着した。私との2年ぶりの再会に笑顔を見せるくらんけさんに対し、父親は終始、沈んだ表情のまま私の前で言葉を発することはなかった。
母親は「自分の娘を看取ることなんてできない」として、同行を拒否して自宅にとどまった。出発の日、2人の姉も家で見送ってくれたが、傍らでは母親が泣き崩れていたという。
くらんけさんは、スイスまでの付き添い人を雇うことも検討していた。だが、父親が「他人に娘を連れていかれるくらいならば、自分で最期を見届けたい」として、同行を決断した。
安楽死が決定 震えて泣く父親、家族に心配が募る

スイスに到着した翌日、安楽死を認める最終審査の結果が出ると、それまで平静を保とうとしていた父親に変化が生じた。深夜、突然、震え出して、娘に隠れて泣いていた。
「発狂しそう」と呟き、寝ている娘に「手をつないでほしい」と頼むこともあったという。父親の傍らでは、くらんけさんもほとんど眠ることができなかった。
どんなに高額な医療でも、娘の回復を信じて治療の選択をし、働き続けた父親。娘を叱咤激励し、テニスボール大の円形脱毛症を作りながらも笑顔を絶やさずリハビリをサポートしてくれた母親。
「自分の命は、自分だけのものではない」。そう感じているくらんけさんは、家族の行く末を心配して心が揺れていた。
「こんなに仲の良い家族を残して、彼女は本当に安楽死を遂げることはできるのだろうか」。私にはそんな疑問が徐々に強くなってきていた。
記者が他人の生死に口を挟む資格などない。それでも、私は安楽死予定日の前日、意を決してこう切り出した。
「もう1度、日本に戻って、考え直してみることはできないかな」
しかし、くらんけさんは、少しあきれたような表情で私をたしなめた。