突然の釈放で疑い晴れるも...

逮捕から13日目。1988年の大晦日、水谷受刑者は突如釈放。自宅には多くの報道陣が詰めかけた。居合わせた記者からは「早く自首して死んだ人を成仏させてあげたらどうですか」「犯人はあなたしかありません」などと問い詰められたという。
水谷受刑者はその後、有印私文書偽造などの罪で懲役1年6か月、執行猶予3年の判決が言い渡され、確定した。
ところが、「爆殺事件」から半年後、なんと被害者の経営するタクシー会社に勤務していた別の男が真犯人だとして逮捕された。男は1993年に無期懲役の判決が言い渡されて確定。水谷受刑者が「爆殺事件」を起こしたという疑いは完全に晴れた形となった。これを受けて1991年、水谷受刑者は、「有印私文書偽造罪などでの逮捕は不当だった」として、警察を管轄する愛媛県などを相手取り、計2100万円の損害賠償を求める訴えを起こしたが「違法な別件逮捕とはいえない」として退けられた。
「ダイナマイト爆殺事件」の疑いは晴れた。しかし水谷受刑者は34年後の法廷で「あれが人生の歯車を狂わせた」と積年の恨みを語ることになる。(後編に続く)