34年前"ダイナマイト爆殺事件"の犯人に疑われた

 (弁護人)
 「タクシー運転手であれば、月給は実質15万円くらいで、十分生活できたのではないですか?」
 (水谷受刑者)
 「国にはひどい目にあったんや。私は昭和63年の年末に殺人事件に巻き込まれた。10日ほどして釈放されたが、マスコミが押しかけてきて家にも住めなくなった」

 水谷受刑者はたしかに、殺人事件に巻き込まれていた。それも「容疑者」と疑われる立場で――。

 それは1988年10月25日の夜のこと。愛媛県松山市の住宅街にあるタクシー会社の社長宅で、止めてあった車のボンネットに紙箱が置かれていた。社長が家の中に箱を持ち帰り、手渡された社長の姪が箱の端から出ていた紙を引っ張ったところ、突然爆発。ダイナマイトが仕掛けられていたのだ。社長の姪は死亡、社長と家族計4人が重軽傷を負った。

「ダイナマイト爆殺事件」と呼ばれたこの事件で、愛媛県警は捜査本部を設置し、犯人検挙に向けて捜査を開始。そして、被害社長の供述などから、水谷受刑者が被害社長と当時金銭トラブルになっていた事実をつかむ。被害社長に危害を加える動機があるのではないか。水谷受刑者が捜査線上に浮かんだ瞬間だった。

13日間に及ぶ"別件"での逮捕

  いっぽう警察は「爆殺事件」とは関係のない民事裁判で、水谷受刑者が偽の借用証書を証拠として提出していた疑いがあることをつかんだ。そして「爆殺事件」から約2か月後の12月19日、警察は有印私文書偽造などの疑いで水谷受刑者を逮捕し、報道機関に発表した。事件から2か月後に"重要参考人"である水谷受刑者が別の容疑で逮捕されたとなると、爆殺事件と関連しているのではないか――。記者たちの質問に、警察は「爆殺事件とは関係ない」と繰り返し否定はしたという。

 しかし、その後「爆殺事件」に関する取り調べやポリグラフ検査(ウソ発見器)が逮捕後も行われたことが明らかとなっている。水谷受刑者自身も、「ポリグラフ検査を拒むと、警察から『お前が犯人でないというなら検査を受けろ、犯人なら受けんでええ』と言われ、こんな言い方をされたら受けなあかんでしょう」と当時を振り返っている。警察から「爆殺事件」の"容疑者の1人"と考えられていたことがうかがえる。