マスコミの車両も被災地渋滞を助長か
金沢方面から奥能登を目指した車の内訳はどうだったろうか。安田記者の肌感覚では、発災直後の1月2日は「緊急車両4割、一般車両5割、救援物資を積んだトラックとマスコミが1割」といった感触だという。
このうち「マスコミ」とは、テレビ局の中継車などのほか、金沢のタクシー会社の車で奥能登にやって来た「見るからに同業者」と思われる人たちのことだ。それ以外にも、レンタカーなどで奥能登入りした記者がいた可能性もあるだろう。ちなみに、全体の5割を占める一般車両の中には、奥能登の親族を助けに行く人がいるとみられる。
安田記者の体験で注目したいのは、次の証言だ。
「テレビ局の中継車の多くは大型車両のため、ひび割れて陥没した国道249号や珠洲道路で慎重に走る姿が散見された。これも渋滞の一因となっていた可能性がある」
「民放online」の記事「能登半島地震 地元局の1カ月を聞く」によると、石川県にある民放4局のうち、ある局の取材態勢は「同局からの3班」と「系列から3班」の「計6班体制」で「応援記者は延べ140人程度」。別の局は「応援記者は26局から70人」、また別の局は「11班前後が取材で現地入り」などとなっている。
「新聞協会報」(1月30日付)に掲載された能登半島地震の「応援記者派遣」に関する記事によると、ある全国紙は「2月1日までに約200人の派遣を予定している」とのことだった。
北國新聞社では発災後1か月余り、奥能登の常駐記者5人(現在は6人)に加え、金沢の本社などから1日あたり、最大10人程度が応援取材に入った。
NHKや通信社、BBCなど海外メディア、そのほかの媒体も合わせ、相当な数の取材記者や撮影クルーが奥能登入りしていた状況が浮かび上がる。
救援活動に駆けつけるにせよ、取材で駆けつけるにせよ、金沢から100キロ以上離れた能登半島の最奥部に行くためには「道路」を使う必要がある。
道路には「交通容量」があり、その限界を超えた数の車両が走れば、渋滞が起きる。能登半島地震では、土砂崩れによる道路寸断によって、奥能登へと至る比較的安全なアクセス路が「内浦側の国道249号」だけとなり、そこに通行が集中した。
国土交通省金沢河川国道事務所の資料によると、地震後の1月6日、国道249号の七尾-穴水間の中間地点で計測した1日交通量は5989台(七尾方向)。一方、2021年度の国交省の調査によると、同様の区間の1日交通量は推定4132台(小型車3162台、大型車970台)で、発災後、交通量が増えている。
それだけではなく、先述した路面状況の悪化や積雪、細い道に迂回する交通規制などが積み重なり、能登半島の「命綱」とも呼ぶべき道路の交通容量はさらに減少した。
奥能登から金沢へ向かう道も渋滞で…
地震によって道路の交通容量が減る中で、本来は、どのような車両が優先的に通行すべきなのだろうか。
第一に、家屋倒壊や土砂崩れに巻き込まれて救助を待つ被災者の生命を助けるため、救助隊の通行を優先すべきだろう。また、自宅が倒壊した人々が奥能登から金沢などに2次避難するための移動に使われるべきだ。
医療機関も被災した中、体調が悪化した奥能登の住民が、金沢などで医療を受けるための救急搬送も緊急性が高い。震災のフェーズが変わり、復旧局面に入れば、復旧資材を運ぶために「貴重な交通容量」を活用するのが適切だと思われる。
北國新聞が震災報道の柱の一つに据えた災害関連死に関する取材の中で、次のような事例があった。
「健康状態の悪化した高齢の父を奥能登から金沢近郊に避難させようとしたが、渋滞が深刻なため、父の体力では長時間の移動に耐えられないと考えて断念した。そのまま父は奥能登で亡くなった」
「高齢の母を奥能登から金沢に避難させる際、移動に10時間かかり、金沢で入院したが亡くなった」。もう少し道路状況がましだったら、このような悲劇は生まれなかったかもしれない。
こうした事例に接した時、ふと、ある思いが筆者の脳裏によぎる。
生命の危機が迫る奥能登の限られた「交通容量」のうち、いったい、どれくらいをメディアが使ってよいものだろうか-。














