■誕生日にはプリンセスのように着飾り…

リザちゃんとの暮らしを、イリーナさんはSNSに投稿し始めた。無理解な医師から中絶を勧められた経験から、「こんなに幸せに暮らしていますよ」と、不安を抱えた他の母親に知らせたかったのだという。実際に「励みになりました」というメッセージももらうようになった。海水浴、散歩、幼児教室、クリスマス…素敵な写真が並ぶ。時には悩みも綴った。それも含めて真摯にリザちゃんと向き合い、大切に、大切に育てて来たことがわかる。

誕生日にはプリンセスのように着飾り、写真を撮った。カメラを向けるとポーズを作るようになった。華やかなドレスが好きで、ちょっとお出かけするときも、着る服にこだわるようになっていった。

リザちゃん3歳の誕生日
祖母のラリーサさん(右)

ラリーサさん
「自分で靴下もズボンも色を考えて決めてたんですよ」

祖母のラリーサさんが、子ども部屋の引き出しを開けてリザちゃんの服を見せながら教えてくれる。引き出しの上にはお気に入りのおもちゃのお医者さんセットがあった。

「これで部屋のぬいぐるみたちを“診察”していました」

ラリーサさんはいつくしむようにそのおもちゃを手に取った。

■初めて「ママ」と言えた日

幼児教室「ロゴクラブ」

リザちゃんが通っていた幼児教室「ロゴクラブ」は着弾現場から車で数分のところにある。

担当していた言語聴覚療法士のナタリアさんはリザちゃんのことを「太陽のような子」と表現した。とてもオープンで、優しくて。リザちゃんもここでのセッションを楽しんでいた。教室から提供してもらった動画には、顔の筋肉を活性化させる運動をしながらはしゃぐ様子などが映っている。

リザちゃんはこの教室で、初めて「ママ」と言えた。その瞬間を、ナタリアさんは強い印象を持って覚えている。

「お母さんはリザを抱きしめて、キスして、泣いていました。リザはお母さんの手をとって、ママ、ママ、と言っていました」

ナタリアさんは攻撃のあった日、電話でリザちゃんが亡くなったことを知った。ナタリアさんもまた、リザちゃんにそんなことが起きるなんて信じられなかった。今でも信じられない。

「私の携帯には彼女の写真もビデオもあって、そこでは彼女は生きています。今にもドアがあいて、リザが入ってくるような感覚にとらわれます・・・」

そう言うとナタリアさんは言葉を詰まらせた。