まるで運動会の玉入れ
私は以前“アルゴリズム”について、人間の欲の放物線を予測するものだ、という表現をした。私たちが欲しがるであろう情報を先読みし、行き着く先に、あたかも自分で探し当てたかの様に欲しいモノが置いてある、そんなイメージだ。少しわかりづらいかもしれない。
例えばあなたが、5歳の子どもだとしよう。あなたはサンタさんに、どうしても頼みたいあるおもちゃがあった。それとなくあなたの願いを聞き取った両親は、「いい子にしていたらサンタさんがクリスマスにくれるかも」と耳打ちする。あなたは一生懸命良い子を演じ、親が買ってきたものだとはつゆ知らず、当日、枕元のプレゼントに歓喜する。
そう。自分が知らないうちに、最も欲しいものを、枕元にそっと置いておいてくれる。この場合で言う両親こそが、“アルゴリズム”なのだ。しかしいま、その様相がさらに悪質なものに変わりつつある。
Xというプラットフォームは、人間の知的好奇心や寄り道好奇心を知り尽くしている。そして、その背景を逆手に、ある革命(悪い意味で)を起こした。「インプレッション」である。その内容がリアルだろうとフェイクであろうと、見た人が多ければ多いほど拡散され、ある一定数を超えると収益に繋がる仕組みだ。
こうなると手に負えない。耳目を集める過激な見出し、過激な写真、極端な発言、事実の歪曲が氾濫しだした。悪質なユーザーに、倫理観を求めることなどできない。あらゆる手を使って金儲けに走る。
その情報が事実であろうがなかろうが、関係ない。人権侵害に繋がろうが、関係ない。どうでもいい。とりあえず情報を投げまくる。そのうち一つでも“アルゴリズム”というカゴに入れば、あとは知ったこっちゃない。まるで運動会の玉入れの様に、情報がぶん投げられているのだ。
さらに悪質なのは、こうしてギアが6段に入りフル加速状態で拡散する「毒」情報は、特定の人の枕元に届けられるのである。そうした人たちは、朝起きて真っ先にスマホを見る。そしてその情報を見て歓喜する。まるで自分がネット空間を検索し、探し当てたかの様に。