■自己保身、同調圧力…元教育長が語る隠ぺいの理由


何度も聞き取り調査をしていながら、なぜ、教育委員会は「Aさんから十分な調査ができなかった」と主張しているのか?私たちは、その真相に迫ろうと、神戸市教育委員会の元教育長の1人に接触した。Aさんへのいじめが始まった2005年の前年まで教育長を務めていた、西川和機氏。

神戸市教育委員会元教育長 西川和機氏
「率直に言ってなぜ、この隠ぺいが続く、隠ぺいの連鎖が起きるのか驚いています。当時の学校長はきちんとした調査と報告をしています。その後、その事実を公表することを逡巡したと。それは市教委の幹部の指示以外は考えられません」
ーーなぜ隠ぺいしなければならないのか?

元教育長 西川和機氏
「この時代に起きていた学校での不祥事。柔道部の合宿で顧問の体罰によって、生徒が亡くなってしまうと、その時の市教委の対応のまずさ、やはりそういうものが背景にあって、この異常な事態を公表するのをためらったのではないかと」

Aさんへのいじめが始まっていた、2005年8月。神戸市立中学の男子生徒が柔道部の合宿中に熱中症で死亡した。顧問に体調不良を訴えたが無視され、体罰を受けていたことが発覚した。西川氏の後任だった当時の教育長はこの問題で処分を受けている。その事件から半年後にAさんへのいじめが発覚したのだ。

元教育長 西川和機氏
「度重なる失敗を出したくないという自己保身。その後、続く人たちは役人の世界ではよくある同調圧力。このへんが働いたのではないかなと」

■「あたかもモンスターペアレンツ…」明らかに違う教委作成の“もう一つのいじめ記録”

明らかになった「学校作成の調査記録」。さらに驚くことに、これとは別に学校の記録とは別に「もう一つのいじめ記録」が存在していたことが分かった。その記録は、教育委員会が作ったものだった。同じいじめの記録だが、2つを比べると明らかに違う点があった。

学校作成の記録では、2006年2月5日にAさんから初めて聞き取り調査を行っている。しかし、同じ日の教育委員会作成の記録には。

教育委員会作成のいじめ記録
「学校が調べを始める。6名の加害児童と保護者から聞き取りを実施」

Aさんへの聞き取り調査が、なかったことになっている。さらに、いじめ発覚から6日後に行われた「学年集会」についても2つの記録で見解が異なる。

2006年2月10日 学年集会の音声 担任
「先生はね、いじめという言葉が、すごく重たい意味を持っているので、あまり使いたくない言葉であるけど、間違いない。言っとく、いじめは悪い」

学年集会の最後に、欠席したAさんの手紙を母親が読み上げている。

Aさんの母親
「手紙を預かってきましたので、この場ですいませんけれども、読み上げさせていただきます。ここに来るのが怖くて怖くて、吐き気と頭痛で来れませんでした。またいじめられるんじゃないかって」

この「学年集会」について、学校の記録では「深く考えるよい機会になった」と記されている。しかし、教育委員会の記録では、「母親が突然、手紙を読むという予定外の行動に出る」となっていた。学年集会に参加していたAさんの父親は・・・。

Aさんの父親
「最後にうちの息子の作文を母親が読むっていう、そういうきちっとしたプログラムができてたんですよね、打ち合わせで。被害者の親があたかもモンスターペアレンツのような書き込みを随所にしていってるんですよね」