モンゴル人にとっての「ノモンハン事件」
ちょっと脇道にそれますが、「ノモンハン事件」を語るとき、忘れられがちなのがモンゴル人の存在です。日本とソ連の戦い、ということばかりがクローズアップされますが戦争はモンゴル人の土地で起きたのです。モンゴルの人たちはどう思っているのでしょうか?

モンゴル人男性
「歴史はあまりわかりませんが、戦争があったことは知っています。母国を守るために戦ったということですよね」
モンゴル人男性
「日本の強欲な奴らがモンゴルを攻めてきたので、ソ連とモンゴルの若者たちが土地を守って死んだんですよ。たくさんの若者の命が失われて残念だと思います。でもモンゴルの独立、国境、そして自由を守るための戦いでしたから」
当たり前ですが彼らにとっては大切な祖国を守るための戦争でした。「ノモンハン事件」を描いた本では「何もない原っぱをめぐって争った愚かな戦い」などといった記述が散見されますがここは何もない土地ではない。ただの草原に見えるが、モンゴル人にとっては大切な祖国の土地だった、という視点を忘れてはならないと思いました。モンゴル兵の死者は990人に上っています。
勝敗を分けた「兵站・補給」「兵器の近代化」「情報」
本題に戻ります。なぜ日本は負けたのか?ミャグマルスレンさんの考えはこうです。
「ソ連は兵站や補給、戦力で優位でした。特に地形をよく知っていて正しい情報があったことがソ連の勝因だと思います」
多くの歴史書が日本軍は「地形をよく調べず、現場の情報を軽視していた」と指摘しています。それを象徴する場所を見せてもらいました。
「ここは高地なので、敵を見張るには有利でした」

私たちは写真の手前、ソ連軍の陣地があった場所に立っていました。真ん中を流れるのがハルハ河。その向こう側が日本軍の陣地です。見ての通り、ソ連側から日本軍は丸見えでした。両軍の陣地には高低差があったのです。この高台からソ連軍は連日砲弾を撃ち込み、戦況を優位に展開しました。当たり前ですがここは日本にとっては「よその土地」。しかしソ連・モンゴル軍にとっては「地元」です。地形や天候を知り尽くしたソ連・モンゴル軍が情報面で優位だったのは当然だとミャグマルスレンさんはいいます。
また、ソ連軍の物資補給能力の高さ、さらに戦車や武器が近代化されていた点も指摘しました。
「ソ連軍の戦車や武器の性能がよかったのです。日本軍はソ連の戦車を倒すため、ガソリンに火をつけた布を長い竹の棒の先につけ、それで戦車をたたいていました」
最新鋭の戦闘機や戦車を投入したソ連軍と、それに竹の棒で立ち向かった日本軍。情報を軽視し、ソ連軍の戦力を過小評価していた点も敗因のひとつだといいます。
「世界の歴史を見れば、勝った側は自慢する。負けた側は損害を隠す。それが普通です。日本はノモンハンで負けたのに、損害を控えめにしか評価しなかった。もし日本が敗北から教訓を学んでいれば、第2次世界大戦は起きなかったし、広島、長崎に原爆が落とされることもなかっただろうと思うのです。教訓を得なかったから、戦争を続けたのでしょう」
ノモンハンで日本軍が軽視したもの。それは物資の補給や準備といった兵站、装備の近代化。そして正確な情報分析。まさに太平洋戦争の敗因といわれたこと、そのものでした。しかし日本はノモンハンから教訓を得ないまま、太平洋戦争に突入。敗戦を迎えました。ミャグマルスレンさんは言います。

「モンゴルの若者たちも、戦争を知らないです。戦争を語れる人もいなくなりました。ノモンハン事件については、まだまだ研究が足りないです。日本、ロシア、モンゴル。研究者が顔を突き合わせて新しい情報を発掘し、本当の事実は何だったのか研究する必要があります。そして、若い人に引き継いでいくべきなのです。それがよりよい未来へつながるのです」