観光そのもの、観光客への反発の噴出
バルセロナでは、オーバーツーリズムに反発する人々が、“TOURIST GO HOME”“TOURISM KILLS THE CITY”といったスローガンを掲げてデモを行い、観光客に向けて水鉄砲で水をかけるという行動にまで出ている様子が報じられている。
マナーの良し悪しを問わず、観光客、あるいは観光そのものへの反発が噴出しているのである。日本ではまだそうした反観光的な行動が大きく報じられるまでには至っていないが、「明日は我が身」―(そう思いたくはないが)その種は既に蒔かれているのかもしれない。
「観光がもたらす利益を広く知ってもらうことが必要」との言も聞かれるが、悪影響それ自体の解決策を示すことなしに、「一方的に」観光の利益だけを主張したところで何の解決にもつながらない。観光による不利益を被っている人々に対して一方的に忍従を強いることでしかないからである※注3)。
対策は、不利益を被る人々に働きかけ、寛容さを求めることで批判の鎮静化を図ることではない。不利益をもたらす原因に働きかけ、悪影響を除去・軽減することでしか問題は解決できない。我々は、観光の利益・恩恵を一方的に主張し、観光を擁護し促進することばかりを考えすぎてはいないだろうか。
「観光は地域の利益となる」といっても、そこには観光によって利益を得る者と、反対に不利益を被る者がいる。それが「現実」である。
今なすべきことは、空前の円安という追い風の中にあって「好機を逃すな、乗り遅れるな」という観光の受益者側に立った一方的な主張をすることではない。(観光ではなく)地域社会の持続可能性の視点に立ち、「住んでよし、訪れてよし」の理念に照らして観光がもたらす正負の側面を適正に評価するとともに、実際に不利益を被っている地域の人々とともに解決策を模索することではないか。
観光は地域経済活性化につながるという考えから、増やす方向に話が進みがちである。しかし、貴重な自然や歴史的・文化的ストック、住民の生活環境を守り、かつ観光体験の質を高めるためには、「適正規模」という考え方をもつ必要がある。その実現には、観光客を減らすことも選択肢となる。そうした覚悟をもって臨むべきであろう。
オーバーツーリズム対策はまだ始まったばかりではあるが、もう「待ったなし」の状況にあるのかもしれない。日本でバルセロナで生じたような事態を招かないために、富士河口湖町の対策に対して「もう少し穏便な方法はなかったのか」などという呑気なことを言っている場合ではないのかもしれない。














