「ひょうきん族・懺悔の部屋」に毎週抗議の速達

各務 横澤さんの一番基礎にあるのは、大学の卒論が「DKグループの研究」※ だと。 

※ Don’t know group. 世論調査の質問などに「知らない」「わからない」などと答えるグループのこと。

横澤 ああ、すごいですね。各務さん、そうですよ。

各務 書いていらっしゃいますよね。当時確かに、賛成、反対、DKと分かれていたわけじゃないですか。I don’t know. そこに目を付けたのが今のテレビの時代の流れを読みとるのに非常に与してたんじゃないか。そういう感じを受けるんですけど。

横澤 当時は、例えば世論調査があって「分からない」って答えるやつは「政治的に無関心で、ばかものだ」って言われてたんですよ。

各務 ええ。

横澤 そういう論陣を一番張っていたのは、朝日新聞の笠信太郎(1900-1967・朝日新聞論説主幹)っていう人ですね。僕はそれに対して、ものすごく腹が立ちましたね。そうじゃなくて、それじゃ、分からないっていうのは何なのか、とりあえず政治的に無関心かも知れないけども、何かあるんじゃないかというのがそのテーマを選んだ一番大きな理由ですからね。

各務 そこに関心を持ったということが、「ひょうきん族」や「笑っていいとも!」につながっているところがある気がするんですけどね。

横澤 ううん。それはもう、とんでもないへそ曲りだってこともありますよね。

各務 でも、とんでもないへそ曲りであっても、のりを超えないへそまがりだから、通用するんじゃないですか。

横澤 塀の上を落っこちないように、チョコチョコ歩いている感じで、やっぱり中に落ちたらえらいことになる、そういうのはもちろんありますけども。

今だから話せますけど「ひょうきん族」で「懺悔の部屋」ってやったでしょう(「ひょうきん懺悔室」)。そしたら、土曜日に放送して、月曜日の朝に速達が来てた、速達。キリスト教なんとかなんとかからね、厳重な抗議ですよ。

神を冒涜し、どうのこうのっていっぱい書いてあった。で、私はそれをどうしたでしょうか、っていうの、いつも言う。引き出しの一番下に入れました、黙って。で、返事を書きました。ちゃんとワープロで打ってもらって。「決して冒涜するものではございません」って、私の名前で返事を書きました、一回。するとまた翌週来た、冒涜だと。もう返事、書かないよ、もう。20枚くらい溜まったね。

これはね、正しい措置だったか分かりませんよ。考査部持ってったり、編成部持ってったら、多分大騒ぎだったと思います。そのかわり、2回目からキリスト教の十字架を全部取ったんです、セットから。1回目はあったんだけど、2回目からはもう十字架なし。それで続けたんだけど、もし真面目に上層部に上げたりしたら多分パンクしてたと思う。当時だから出来た。今だったら大変ですね、今だったら「とんでもない」と言われる。馬鹿者プロデューサーになりますよ。でも、そうでした、私は、はい。

各務 どうもありがとうございました。

(本インタビューは2004年10月15日に収録)

【横澤彪(よこざわ・たけし)氏の略歴】
1937年生
1962年 東京大学文学部社会学科卒業後、フジテレビ入社
1974年 「ママとあそぼう!ピンポンパン」で初プロデューサー
1980年 「THE MANZAI」で頭角を現わす
1987年 「FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島」ゼネラルプロデューサー
1992年 「平成教育委員会」エグゼクティブプロデューサー
1995年 フジテレビ退社
1995年 吉本興業役員就任 同常務東京本社代表
2001年 同社専務取締役
2011年没

【放送人の会】
一般社団法人「放送人の会」は、NHK、民放、プロダクションなどの枠を超え、番組制作に携わっている人、携わっていた人、放送メディアおよび放送文化に関心をもつ人々が、個人として参加している団体。
「放送人の証言」として先達のインタビューを映像として収録しており、デジタルアーカイブプロジェクトとしての企画を進めている。既に30人の証言をYouTubeにパイロット版としてアップしている。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。