「笑っていいとも!」情報は見世物として扱う

各務 そのあと、「笑っていいとも!」ですね。あの中でいろんな発明というか、テレホンショッキングや、ポスター貼りだとか。

横澤 はい。はい。

各務 あれはその都度、思いつかれていくわけですか。

横澤 はい、映画の宣伝ポスターとかね。そういうのですね。

各務 宣伝のポスターとかは、こりゃ、モノになるというんで、そういう形で続けていらっしゃるわけですか。

横澤 いやいや、細かくいうとなんなんですけど、結局少なくともバラエティー番組って一体どんなもんなんだって思うとね、やっぱり情報というものを、どれだけ見世物のようにするかっていう作業だと思うんですよ。

見世物っていうのは、かなり怪しげな雰囲気もあります、危なそうでもあったり。でもバラエティに関して言えば、基本形はそんなに背筋を伸ばしてやるメディアでもないと思うんですよ。そういう意味でいえば、見世物になるもの、要素、というのはすごく、カリカリしながら大事にしました。結局、映画の宣伝てのは、チンドン屋じゃないですか。

各務 うん。

横澤 いってみれば、来る人がスターであるだけで、基本的にはチンドン屋、ご陽気にやった方がいい、というのが私の持論なんですよ。だから情報を見世物としてとらまえるか、ニュースだと思ってやるか、その違いだと思います。もちろん、ニュースと考えてやる番組の方が多いわけだから、情報を見世物にした瞬間に、スローになるんですよ。テレビがね。

こう、たたみかけて、いっぱいやろうとするじゃないですか、情報として。ランキングなんかが一番いい例ですけど、ヒューッてやって、さあどうだみたいな。今週のベストテンでございますって、ガァーっと詰め込んで。それがテレビだって考えている人が多いんだけども、僕はけしからんと思っているわけ。

テレビってそうじゃなくて、もっとゆっくり伝える部分も(あってよくて)、昼間ですしね、そんなに詰め込み詰め込みで、いっぱいの情報をキュッとやるんじゃなくて、ちょっとスローな形で見せる。ショーアップという言い方をすれば格好いいですけども、いわば見世物と考えるっていう、そこじゃないかと思うんです。だから、タモリは非常に品の悪い呼び込みですわ、呼び込み。そういうふうに考えましたよ。あの番組始める時はね。