90年代フジ快進撃のきっかけは「カノッサの屈辱」

各務 フジテレビ(在籍時代)の晩年といっちゃあれですけど「カノッサの屈辱」※という番組を作られましたね、深夜の。

※ (1990年~1991年)日本の消費文化史に起こった出来事を、歴史上の事件になぞらえて仲谷昇教授がレクチャーする、深夜の疑似教育番組。ユニークな発想とスタイルで、当時若者をはじめ評判になった。構成は小山薫堂ら。

横澤 はい、はい。

各務 われわれとしては、よくフジテレビはこういう、題名を見ても何のことだか分からないような番組が出来たなあと感心したんですけど。

横澤 それはね、当時、編成部長っていうのが二人いて。深夜の編成部長っていうのを作ったんですよ、インフォーマルに。まあ、希望者っていうか、一応選んでね。それで、そいつが全権限を持って、余計な人は口出ししないというルールを作ったわけ。

それで、その深夜の編成部長をみんなで取り囲んで、認めさせたのが「カノッサの屈辱」というタイトルですね。これはおっしゃったように、世界史の教科書をみんなで見て、聞いたことはあるけど、中身が分かんないものはないかって探したんだ。その一番が、「カノッサの屈辱」だったんです。

で、ホイチョイ※ さんの、馬場さんですからね、元々言いだしっぺは。だから彼のいろんなデータを、くくり方を変えることによって、歴史というか、こんな数年の間のことを大げさに歴史として見る、その見方がとても面白いっていうことですよね。そういう見方の面白さと、一所懸命みんなで言葉を探している番組。だから、言葉遊びみたいな番組でしたね。

※ ホイチョイ・プロダクション 1960年代に成蹊学園に入学した人達のグループで、バブル期に話題となった。グループのうち名前がわかっている一人が馬場康夫(元日立製作所、映画監督、漫画原作者)。元総理の安倍晋三とは同級生。

各務 今から考えると、こういう多メディア、多チャンネル化して、ターゲットがだんだんパーソナルになる時代に対して、先駆的な番組だったんじゃないですか。

横澤 そうですね。深夜帯に番組を作ろうって言った初期の番組ですね。そういう意味では、パイオニア的な意味合いもあったと思います。「カノッサの屈辱」ってまあ、僕も最初でしたので、一応参加してますけど、そのスタッフが、きゅっとずれて「料理の鉄人」※にいって、それでひゅっとずれて、「発掘!あるある大事典」※かな。

※(1993年~1999年)フジテレビ
※(1996年~2007年)フジテレビ

で、またずれると思いますけど、何となく雰囲気を持った一つのチームが、時代とともに違う番組を開拓して、それぞれ成功させてるのが素晴らしいことじゃないですかね、フジテレビにとっては。そういう財産がありますよ「カノッサ」には。スタッフのディスカッションはすごかったですからね、ほんとに。それで、なおすごいのは深夜から一歩も出なかったという。最近はすぐ出てくるのが多いじゃないですか。

各務 はい、ええ。

横澤 「絶対駄目だよって、それは」と言ってね。