かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。昭和からバブル期を挟んで平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に野村証券など4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していた戦後最大の総会屋事件を振り返る。
大手証券会社にカネをたかっていたのは、総会屋だけではなかった。
東京地検特捜部による総会屋事件の捜査は、波状的な進展を見せ、金融機関から大蔵官僚への接待疑惑が浮上していた。そんな中、想定外のことが起きる。
汚職や詐欺など知能犯罪捜査のエキスパートと言われていた現職の警視庁幹部が、みずからワイロを受け取って逮捕されるという前代未聞の不祥事が発生した。関係者の証言をもとに今だから明かせる捜査の舞台裏の一端を描く。
警視庁幹部を電撃的に逮捕
「金融腐食列島ー呪縛」という映画にもなった野村証券、大和証券、日興証券、山一証券の4大証券、それに第一勧業銀行による「総会屋」小池隆一に対する巨額の利益供与、損失補てん事件。4大証券から「総会屋」小池隆一側へ流れた金額と回数を整理しておこう。
あくまで立件分にすぎないが、第一勧銀からの「う回融資」は「約118億円」、野村証券から利益の付け替えが6回で「約4700万円」と「現金3億2,000万円」、大和証券は付け替えが68回で「約2億円」、山一証券が利益の付け替えが32回で「約1億7,000万円」に上った。
前年1997年から続いた4大証券、第一勧銀から総会屋への利益供与事件は、次のステージへ舞台を移していた。
年が明けた1998年1月、TBS司法記者クラブは、大蔵省OBの「日本道路公団」幹部の収賄事件の「X」デーが近いと見ていた。他社の司法記者もほぼそう予想していた。東京地検特捜部の最終ターゲットは「大蔵キャリアの接待汚職」だった。その前哨戦とも言える大蔵省OBの「日本道路公団理事」への捜査が、まさに秒読みだったのである。
そのため報道各社は、年が明けると、連日「大蔵省OBの日本道路公団理事にきょうにも出頭要請」などの前打ち報道を展開した。TBSも日本道路公団知事逮捕の「Xデー」に備え、さらに続いて摘発される可能性が高い大蔵省のノンキャリやキャリア官僚への接触を試み、水面下で関係者のインタビューや情報取材を積み重ねている段階だった。
特捜部長の熊﨑、副部長の山本らに張り付く番記者の報告からも、別の事件を内偵している感触もなかった。むしろ、特捜部第一勧銀捜査班キャップの大鶴基成検事(32期)が金融機関のMOF担(大蔵省担当)を一斉に呼び出し、大蔵官僚について集中的に調べているとの情報を得ていた。
そうした状況から筆者らは、まもなく特捜部が、本丸のターゲットである大蔵省のキャリア官僚捜査の前哨戦として、大蔵省OBに切り込むことをほぼ確信していた。
しかし、1998年1月14日、特捜部長の熊﨑が電撃的に逮捕したのは、まったく突如浮上した警視庁の現職幹部、H警部だった。しかも、捜査情報を「大和証券」に流してワイロを受け取ったという超一級の汚職事件だった。東京地検の松尾次席検事の発表に、筆者ら司法記者クラブ各社は、降って湧いたような警官汚職の発表に驚愕した。
筆者らは検察に出し抜かれたのだ。
実は、特捜部が総会屋事件で、大和証券の家宅捜索で押収した段ボール箱の中から、後に述べる警視庁H警部からの「一通の手紙」や、「接待伝票」などが見つかっていたのである。大蔵省OBの「Xデー」に気をとられていた筆者らは、特捜部が急遽、H警部の汚職を水面下で内偵しているとは、知る由もなかった。
逮捕されたH警部は、一連の総会屋事件とは別件の「大和証券国立支店の詐欺事件」の捜査に携わり、その「捜査情報」を大和証券側に流し、見返りに「ワイロ」として現金や飲食接待を受けていた収賄の疑いだった。
この事件の端緒をつかんだのは、まだ29歳の東京地検特捜部の若手検事、木目田裕(45期)であった。木目田は浦和地検公判部から「A庁」で特捜部に来たばかり。検察庁では任官1年目を「新任検事」、2~3年目を「新任明け検事」、そして4~5年目になると「A庁検事」として東京、大阪、名古屋などの大規模庁を経験する。木目田は「A庁検事」として特捜部に抜擢されたのだ。
木目田は特捜部副部長の山本修三率いる特殊直告2班に配属となり、まず「住専事件」そしてバブルの帝王といわれた「麻布グループ」の渡辺喜太郎氏の事件の担当となる。
「ダンボール箱数十箱を渡されて『立てられる事件の筋を考えてこい』と言われ、ブツ読みに没頭する毎日だった」(木目田)
先輩には佐々木善三(31期)や伊丹俊彦(32期)がいた。佐々木は「リクルート事件」や住専事件、大蔵省キャリアの捜査に関わり、「マムシの善三」と呼ばれていた。のちに特捜部副部長も務め、KSD事件や鈴木宗男議員の事件などを指揮した。伊丹は「東京佐川急便事件」や阿部文男・元北海道沖縄開発庁長官の受託収賄事件を手掛けた。
「事件の筋をつくって、一斉取調べをした。渡辺喜太郎の取り調べは別の先輩検事が担当したが、私は、ある関係者の事情聴取を始めた初日に、自白を得ることができた。その麻布グループの事件を勾留2回転して、1997年7月くらいに終結したあと、4大証券の捜査に加わった」(木目田)
特捜部長の熊﨑は総会屋事件、大蔵省接待汚職の捜査に、若手を積極的に起用していた。当時の配置表によると、笠間副部長の特殊直告1班の森本宏(44期)、中村信雄(45期)、山本副部長率いる特殊直告2班の木目田裕(45期)、財政経済班の西山卓爾(45期)と平光信隆(46)らである。
熊﨑や山本は、こうした30歳前後の検事にも、4大証券や第一勧銀の役員、小池隆一の弟など重要な容疑者の身柄を持たせるなど、経験を積ませていた。このうち今回の警視庁汚職は、29歳の木目田検事が端緒をつかんだのであった。

