警察に花をもたせる
この事件で、特捜部長の熊﨑が最も頭を悩ませたのは、警視庁への対応だった。
事件の端緒は、そもそも特捜部がつかみ、大和証券幹部を自供させた上で全容を解明した。ほぼ有罪が見込まれるだけの証拠もそろっていた。当然、収賄側(H警部)、贈賄側(大和証券幹部)いずれの身柄も東京地検特捜部が逮捕して調べるのが筋だった。とは言え、収賄側が現職の警視庁幹部というデリケートな事情があり、警視庁としては身内の不祥事であり、自らの組織で処理したいとのメンツもある。
そこで、特捜部長の熊﨑は水面下で警察庁幹部のSさんと会って、捜査の割り振り、方針について、相談した。そして相談した結果を、特捜部副部長の山本修三(28期)にこう伝えた。
「収賄側のH警部の身柄は警視庁に任せることになった。特捜部は贈賄側の大和証券幹部の身柄だけを持つことになった。これなら、警視庁に花を持たせることができるやろ」
つまり、汚職事件の「収賄側」と「贈賄側」の容疑者の身柄を、それぞれ別々の捜査機関で逮捕するという異例の捜査手続きだった。これなら、警視庁は最初から捜査に関わっていたという体裁を保つことができる上、世間にも検察と警察の「合同捜査」との印象を与えることができた。実際は総会屋事件の「ブツ読み」をきっかけに自白まで特捜部が完結させた事件だったが、熊﨑は、警視庁の立場を汲み取った上で、H警部の身柄を警視庁に持たせることで花を持たせたのであった。
特捜部副部長だった山本修三(28期)はこう記憶している。
「MOF担から大蔵官僚への接待汚職に捜査を集中しているなかで、他の事件をやるつもりはまったくなかった。余裕もなかった。しかし、大和証券から警視庁幹部への接待の証拠が出た以上、どうするかっていう話になった。全く無視するわけにいかない。そこで、熊さんが、付き合いのある警察庁幹部のSさんに内々で相談した。私もSさんとの話し合いに何回か立ち会ったが、SさんはH警部が警視庁捜査二課時代の上司でもあった。こっち(特捜部)で全部やってもいいんだけど、どうしましょうかと。そしたらSさんが『とにかくH警部の身柄だけは警視庁で持たせてください』と頭を下げてきた。それでH警部の身柄は警視庁が逮捕して、取り調べは警察と検察で柔軟にやりながら、起訴状はわたしが主任検事として署名押印した」
1998年1月14日、報道各社は夕方のトップニュースで警官汚職を伝えた。
「警視庁と東京地検特捜部は、大和証券の詐欺事件の捜査情報の漏えいをめぐる汚職事件で収賄側の警視庁幹部と贈賄側の大和証券幹部を逮捕しました。警視庁と東京地検特捜部によりますと…」
筆者らは、熊﨑や山本が警察当局と相談した上で、H警部の身柄を警視庁に任せたことから、ニュースのクレジットは「警視庁」と「東京地検特捜部」というダブルネームで報じたのであった。
(のちに警視庁幹部は懲役2年、大和証券幹部は1年4か月の執行猶予付き有罪判決が確定)
しかし、熊﨑や山本のこうした配慮に水をさすような出来事が起きる。
逮捕から3日後の1月17日、H警部が警視庁施設で取調中、トイレで「カッターナイフ」を使って手首を切り、自殺未遂を図ったのである。
H警部は書籍や筆記用具、ファイルなどの私物を段ボール箱に詰めて取調室に移していたが、「カッターナイフ」はファイルに偶然挟まっていたとみられ、H警部はこれを取り出して、ズボンに隠し持ってトイレに持ち込んでいたという。
警視庁は所持品の管理に手落ちがあったことを認め、トイレでも腰縄や手錠を外すなどミスを重ねていた。
これを受けて国家公安委員会と警察庁、警視庁は1998年2月、H警部の汚職事件の監督責任と自殺未遂の問題に関して、警視庁幹部ら約20人の処分を発表した。H警部の上司だった警察庁幹部のSさんも減給処分を受けたのである。

