「捜査情報漏えい」と「接待」
稲川や木目田らは、大和証券役員らを追及した結果、H警部が大和証券側のために尽くしていた最大の便宜供与は、「捜査情報の漏えい」であることを突き止めた。
H警部は数々の事件を手掛けて「警視総監賞」をたびたび受賞するなど、極めて有能な警察官として、勤務ぶりも高く評価されていたという。
そんな汚職捜査のプロの警視庁のエース幹部が、捜査対象の企業に「捜査情報」を漏らしていたというのは、警察組織全体を揺るがす前代未聞の不祥事だった。
検察側の冒頭陳述などによると、きっかけはH警部が1993年、大和証券国立支店を舞台にした巨額詐欺事件の捜査を担当したことからはじまる。
概要は大和証券元国立支店長らが高利保証を誘い文句に、顧客から集めた株券など「約336億円」相当をだましとったというものだ。
実は「総会屋」小池隆一が、大和証券を揺さぶるためのネタ、追及材料にしたのがこの不祥事だったのである。小池はかなり早い段階で、この情報をつかみ、大和証券の株主総会で追及する構えを見せていた。
これに対して、同社は株主総会で小池から追及されることを恐れ、ゴルフ会員権の売買などを利用して、小池側に「約2億円」の利益を提供していた。
大和証券はこの詐欺事件で、当時の国立支店長ら4人が警視庁に逮捕されたが、H警部はまさに、この事件の主役である元国立支店長の取り調べにあたっていたのだ。
当時、警視庁捜査二課の係長だったH警部は、1993年3月上旬に同社を訪問、当時まだ捜査が本格化する前の段階で、大和証券側に「捜査情報」をこう伝えたという。
「実は捜査二課としても以前からこの事件を内偵捜査中なんです。少なくとも1人は逮捕者が出ますよ」
大和証券はH警部から上記の捜査情報を入手し、社内の逮捕者を最小限にとどめてもらうよう、H警部に働きかけた。依頼を受けたH警部は「できるだけのことはする」と約束。
翌月になると、事件の概要を示すチャート図を見せたり、容疑者の逮捕時期、家宅捜索の場所を教えたり、警視庁本庁の取調室に大和証券担当者を呼んで、同社社員の供述調書のコピーを渡すなどの便宜を図っていた。
大和証券からH警部への多額の現金や接待は、時効にかかっていない分だけでも、H警部が捜査二課に所属していた1992年4月から6年間にも及んでいる。H警部は大和証券側から「飲み代くらいは面倒見ますよ」と言われ、飲食店の領収証と引き換えに、現金を受け取ることもあった。これについて特捜部は悪質な「付け回し」と認定、また金額が記載されていない白紙の領収証で請求していたこともあったという。
さらに要求はエスカレートした。
「女房や子供をグアムにでも連れて行こうと思っている」と持ち掛け、大和証券から「50万円相当」の旅行券を受け取っていた。しかし、H警部は行き先を変更し、グアムの旅行券を換金して、ハワイに旅行していたことも判明。H警部は取り調べに対しこう供述した。
「ハワイ旅行で大和証券との関係に歯止めがきかなくなった」
その供述通り、ハワイ旅行のあとに現金280万円を受け取るなど、ハワイ旅行が一つの契機となり、接待やワイロが常態化していったのだ。(検察側冒頭陳述など)
また大和証券国立支店事件のあとも、同社からの要望に応じて、総会屋や右翼の名簿の提供や、同社が絡む事件関係者やトラブルになった顧客の犯罪歴の照会などにも応じていた。
また新たに、大和証券沼津支店を舞台にした詐欺未遂疑惑が発覚した際には、警視庁の上司にこう進言し、裏付け捜査を中止させていた。
「未遂なので実害もなく、裏付け捜査をしなくても全体の捜査には支障がないのでは」
H警部が捜査情報の見返りに、受け取っていたワイロはあわせて「約400万円」に上った。
このうち現金は「280万円」だったが、あろうことか、H警部は現金の一部を1994年3月、当時勤務していた「愛宕警察署」の署内で、堂々と受け取っていたこともわかった。(検察側冒頭陳述など)
当時の検察幹部はこう振り返る。
「総会屋事件が、H警部の情報漏えい、汚職事件につながったのは、そもそも大和証券が総会屋の小池から、国立支店長の詐欺事件をネタに脅されたことがきっかけ。
大和証券としては、小池から詐欺事件を株主総会で追及されることに怯えた。そのため、何としても、事件の拡大を食い止め、会社のイメージダウンを最小限に抑えるための対応策として、H警部から捜査情報を入手することが必要だった。つまり、小池からの情報がH警部への接待攻勢、ワイロの引き金になった」
H警部の手紙は、「接待やワイロと同じように、就職の依頼くらいは聞いてくれて当然」という癒着関係をよく示すものだった。
木目田が押収品の「ブツ読み」から見つけた一通の手紙が突破口となり、警視庁幹部の汚職事件をあぶり出したのである。

