入社6年目のNBC長崎放送の岸 竜之介アナウンサー(27)は、長崎市出身の被爆3世。しかし、被爆者である実の祖父(88)の口から、自身の被爆体験が語られることは、ほとんどなかったといいます。
祖父は一体、どんな被爆体験をしたのか──
被爆者の話を直接、聞ける時間が限られる中、祖父の被爆体験をきちんと聞いておきたいと、岸アナウンサーが自ら、祖父にその被爆体験を取材しました。今回は、その後編です。
前編:「家は吹っ飛ばされてぺしゃんこ。人間は一人も見えん」長崎・被爆3世のアナウンサーが"じいちゃん"から初めて聞いた77年前の8月9日に起きたこと
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前回、祖父は長崎市の城山にあった『中村さん』という叔母の家を訪ね、そこで被爆したことを知りました。
ただ、祖父は、同じ場所で被爆した中村家の叔母やいとこたちがその後、どうなったのか、全く分からずに生きてきました。
あの日、祖父と同じくして被爆した中村家のその後が、77年ぶりに判明しました。
■ 原爆投下の朝、祖父は空襲を避けるため一人、爆心付近の城山へ

母方の祖父・濵口 信行、88歳。私の「じいちゃん」です。

戦時中、当時11歳のじいちゃんは三菱長崎造船所の近くに住んでいましたが、空襲を逃れるため「中村さん」という叔母が暮らしていた爆心近くの城山に行きました。
着いた途端、叔母に命じられるまま、じいちゃんが中村家の裏にあった防空壕を掘りを手伝っていたとき、原爆が投下されました。

祖父:
「家は吹っ飛ばされてぺしゃんこになったりね、形は全然なか。『叔母さんおーい』って、あらゆるところ探すさ。子どもだったけど夢中になって。しかし人間は1人も、おい(=自分)が探した時には見当たらんやった」

防空壕の中にいて、けがはなかったじいちゃん。被害にあった叔母の家のまわりでは誰も見つけることができませんでした。
そして、叔母一家の消息は戦後になってもわかりませんでした。