■ 中村家の手掛かりが “被爆体験記”のなかに
サダさんの子どもの名前はこの記録からはわかりませんでしたが、保存されている被爆体験集のなかから『城山で被爆した』と登録のあった、名字が “中村さん” の体験記を一つ一つ確認してみると、あの日、『三菱長崎造船所近くから いとこが来ていた』という記述が見つかりました。

祖父:「あら!おい(のこと)じゃなかとやろか?」
岸アナ:「えっ?じいちゃん?」

じいちゃんには、『中村家のいとこの1人がシスター(=修道女)になったらしい』と親戚の集まりで聞いたような、かすかな記憶がありました。
岸アナ:
「(この方)シスターになったって書いてあるばい」
祖父:
「あ!シスターって書いとる。こい、間違いなかばい、こん人ばい」
岸アナ:
「こん人かな?」
体験記を書いていたのは7歳の時、城山一丁目で被爆した中村 淑子さんです。

1995年、58歳のときに残した体験記によると『7歳で城山1丁目で被爆。家のがれきの下から助け出され、しばらく高熱に浮かされて生死の境を彷徨った』とあります。
ご存命なら84歳です。全国の修道会に尋ねてみました。