標語が入選した男性の娘『自慢する話ではなかった』

 では標語に応募したのはどのような人だったのでしょうか。取材に応じたのは関西に住む80代の女性。女性の父親は『すべてを戦争へ』という標語を応募して「国民決意の標語」の1つに選ばれたのです。
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 ただ標語について父親が語ることは無かったといいます。

 (標語が入選した男性の娘(80代))
 「自分で納得と言っていいのか、何て表現していいのかわからないけれど、自慢する話ではなかったですね」

 戦争のために大勢の人が財産を国に寄付していた時代背景が、この標語を生んだのではないかと話します。

 (標語が入選した男性の娘(80代))
 「社会的なその時の時代の流れかなと思って。(戦時中は)流れにいくら抵抗しても難しい。流れに乗ってしまって表現したのかと。(Q結果として国策に協力してしまったという思いがあった?)あったと思う。結果としてね。(Q後悔?納得がいかなかった?)それは口には出さなかったけど、何も言わなかったというとこで」

 軍国主義とは程遠い庶民が作った標語が、結果として様々な形でプロパガンダに利用されたのです。
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 戦争が進むにつれて『アメリカ人をぶち殺せ』など過激な標語も作られました。しかし終戦とともに日本ではこうした標語は姿を消します。

 一方で終戦から77年が経った現在も国によるプロパガンダは行われています。ウクライナ侵攻をめぐり、ロシアは自国民に対してウクライナや西欧諸国と正反対の主張を展開しています。