◆22枚目の遺書が見つかる
藤中家に届けられた遺書は、21枚ありましたが、この後に書かれた22枚目の遺書が、田嶋教誨師の遺品の中からみつかりました。
藤中松雄さんの次男 孝幸さん「これ田嶋先生宛の遺書ですね」

*遺書朗読「愈々近まりつつありますが、こうした安らかな心で居られますのは、長い間教え導き下さった先生のお力だと深く深く感謝致して居ります。では先生、お元気に。さよなら」
藤中松雄さんの次男 孝幸さん「よう書いたもんやねようね、こんな手紙俺たちは書ききらんばい」
◆死刑執行の2時間前

日付は、4月6日夜10時30分頃。この二時間後、日付が変わった4月7日、午前0時半頃。13と書かれた扉の奥にある絞首台で、死刑が執行されました。

見つかった遺書以外の21枚は、嘉麻市の碓井平和祈念館に収蔵されています。学芸員の青山さんに22枚目の遺書をみてもらいました。

碓井平和祈念館 学芸員・青山英子さん「これが最後かもっていうことですね。やっぱりちょっと胸に迫るものがあります」
◆「戦争絶対反対」「世界永遠の平和」
A級戦犯のような指導者の立場ではなく、現場の兵士らが戦争犯罪に問われたBC級戦犯。
碓井平和祈念館 学芸員・青山英子さん「もうごくごく普通のどこにでもいる若い夫であり、父親であり、戦争が終わったら、それからまた、平和な生活を送っていたであろう人ですよね。だけど石垣島事件で、しかも実行者として命じられてやったっていう戦争であったら、ある面致し方なかったというふうにとらえられるようなこと、だけどやはり殺人であることは間違いない、冷静にみたらそれは罪ですよね、それを本当にものすごく重い罪として背負わされて、戦争によってどうすることもできない抗いようのない自分の立場ってことを精一杯、自分の命ってことを書き遺していらっしゃるような気がするんですよね。

松雄さんは、遺書の中で強く訴えています。
*遺書朗読「だから父は孝一、孝幸ちゃんに願って止まない事は如何なる事があっても「戦争絶対反対」を命のある限りそして子にも孫にも叫んで頂くと共に全人類がこぞって願う「世界永遠の平和」の為に貢けんして頂き度い事であります」