家族にも話せない極秘訓練、今後のことも…

1944年(昭和19年)7月、厳しい訓練をこなし、出撃命令も近いとみられていた一之さんに一時帰郷が許されました。富山の実家で数日間、家族との団らんを過ごします。そして、基地に戻る日の朝…。母親を前に、ふとつぶやいた言葉があったといいます。

弟・小森正明さん:
「母親に『あと何時間になった』と…。胸の内では帰りたくなかったのだろうと思います」

回天の存在は極秘にされ、訓練基地での生活や、これから自分の身に起こることは家族にすら話すことを許されませんでした。


一時帰郷した小森一之さん 1944年(昭和19)7月

基地に戻り、実戦並みの操縦技術も身に付いた一之さんに出撃命令が出されました。

1945年(昭和20年)7月、一之さんら6人の隊員が伊58潜水艦(橋本以行艦長)に乗り込み、山口県の平生基地から出撃しました。作戦海域の沖縄近海まで潜水艦で移動します。艦内でしたためた谷道さんあての手紙が残されています。

出撃が決まった搭乗員(多聞隊)1945年・昭和20年7月(提供:阿多田交流館)
1945年(昭和20年)伊58潜水艦に乗り込む回天搭乗員と整備兵(提供:阿多田交流館)

谷道さんにあてた一之さんの手紙(抜粋):
「伊五八潜にて出撃以来、至極元気。精神は澄んで一転の曇りもなく、北緯十度内外の太平洋はきわめて静かで、一面のコバルト色。艦首、艦尾に立つ白波が映えて、きれいに見えます。そしてそれが入り日のくれないに輝く時こそ絵のように見えて、これがいま決戦の最中だろうかと心を疑わせます。谷道少尉殿」

谷道さんあての手紙(移動中の潜水艦内で書かれた)