発進する回天、搭乗員が言い残すことば…
基地を出て10日目の7月28日早朝、小森一之さんら回天搭乗員6人を乗せた伊58潜水艦は、作戦海域である沖縄の東で、アメリカ軍の大型タンカーを発見しました。タンカーは敵艦船に燃料を補給するため重要な攻撃目標です。
そして、この日の午後2時過ぎ…。
伊58潜水艦 橋本以行艦長:「回天戦用意!」「1号艇および2号艇、用意!」
艦長は、護衛の敵駆逐艦がいるため通常魚雷の射程まで接近できないと判断し、回天による攻撃を決意します。まず、小森さんら2人の搭乗員に発進準備を命令します。

小森さんの最期を知る人物がいます。伊58潜の艦長付き少年兵、中村松弥さん(92)です。中村さんは艦長のそばで命令を伝える伝令係でした。小森さんたちの回天が発進する様子を鮮明に覚えていました。

艦長の伝令役だった元少年兵 中村松弥さん:
「発進準備を終えた回天に、艦長が艦内電話で聞くんです。『何か言い残すことはないか?』と。すると、ほとんどの隊員が『ありがとうございました』と言って発進していきました。死ぬことがわかっていて、出ていく…。いま思えばすごくむごいことです」
小森一之さんの回天、発進準備が整いました。
中村さんは、艦内電話で小森さんに艦長の発進命令を伝えました。

記者:「一之さんの最期のことばは?」
艦長の伝令役だった元少年兵 中村松弥さん:
「小森さんは『ながらくお世話になりました。ありがとうございました』と言って出ていった。(目的の海域まで無事に運んできてくれた)お礼です」

7月28日午後2時31分、小森一之さんの回天、発進。約50分後、爆発音が海中に響きました。
小森一之さん、19歳の戦死です。
一之さんの手紙には、志願に反対していた父への思いが、つづられていました。
一之さんの手紙:「恩賜の短剣と軍刀だけは、どうしても家の父の手にとどけたいと思います」
軍刀は予科練入りが決まったとき、父があつらえたものでした。


小森さんは、薄れていく戦争の記憶を伝えていくことが “今を生きる者の使命” と考えています。
戦死した小森一之さんの弟 小森正明さん:
「自分一人になっても、体が動くまで供養を続けたい」

※日米双方の記録を照合すると、数件のケースを除き、潜水艦から発進した「回天」のほとんどが敵艦に体当たりできずに自爆したか、燃料が尽きて海底に沈んだものと考えられています。
当時の陸海軍と政府は、こうした事実をほぼ認識しながら戦場の実態を国民に知らせることなく、「特攻」「転進」「玉砕」「軍神」などの言葉で鼓舞して戦意を高揚させ、多くの若者の未来を奪いました。
回天の搭乗員として訓練を受けたのは1375人、戦死者は搭乗員、整備員含め145人です。その多くが小森さんや谷道のような飛行予科練習生や学徒出陣による20歳前後の学生たちでした。
戦争を知らない世代だからこそ、犠牲となった彼らの生きていた証や戦争の歴史に目を向け、残された記録と体験談を後世に伝えていく使命があると考えます。