李さん:
「12月のある日、近所の日本人のおじいちゃんとおばあちゃんが、うつわに油を持ってきてくださったんですね。これが植物性の油で貴重な油でした、当時。『お前はまだ治らんか。まだ苦しんどるのか。これつけりゃ治る』と言って、くださったのが植物性の油だったんです。あの差別が厳しいときに、なぜ韓国人と分かりながら…母はいつもチマチョゴリを着ていたから韓国人と分かったはずなんです…なぜ、油を持ってきてくださったのか。その優しい心遣いがとても嬉しくて。今こうして生きているのは、そのおじいちゃんとおばあちゃんのおかげだと思っているんですよ」。
■「あれ原爆で、うつるぞ」友達がだんだん離れていく
李さんを襲った、原爆による急性障害。
李さん:
「お父さんは様子を見に市内へ出て、放射能を吸いたい放題吸って帰ってきたわけですよね。ですから私よりお父さんの方が下痢と嘔吐は長かったですね」。
小川:
「下痢と嘔吐が続いた…」
李さん:
「毎日です。私も出ましたね。必ず下痢嘔吐があるんです、原子爆弾の場合は。その当時、髪が抜けると死ぬと言われていたんですね。そういう風評があった。実際に亡くなった方もいた。私は毎朝髪を引っ張ってみるんですけど、抜けないや。きょうは大丈夫だと確認していました。4か月くらい後に職場に復帰するんですけども、好きで入ったところなのでやはり一生懸命仕事をしていましたけれども、ケロイドが白く浮き出ているところがあった。同期生なんかが『江川(当時、李さんが名乗っていた苗字)のところ行くなよ。あれ原爆で、うつるぞ』と。友達がだんだんだんだん離れていくんですね。原爆がうつると」。
「ピカがうつる」。そんな根拠のない噂がたち、差別されたと言う。
原爆は、爆発に伴い、熱線や爆風に加え、大量の放射線を出す。
放射線は、人体の奥深くまで入り込み、やけどの傷が癒えても深刻な障害を引き起こすことがある。
多くの被爆者が被曝7~8年後をピークに白血病を発症。
その頻度は、被爆していない人の約20倍だった。
今も、原爆症と認定された人だけでおよそ7000人が、がんなどと闘っている。
原爆症を60年以上研究する第一人者、広島大学の鎌田七男名誉教授は次のように指摘する。

鎌田名誉教授:
「20年30年たって、ある時には肺がんが出てきたり、さらにそれから10年たったら大腸がんが出てきたり、というふうにして一人の身体に2つも3つもがんが出てくるという状況が稀ではありません。生涯にわたっていくつものがんを発症する」。
16歳で被爆し、その後長く被爆体験を語ってこなかった李さんだが、80歳を過ぎてから語りはじめた。チョルノービリ原発事故の被害があったウクライナやベラルーシも訪問。
また、在日韓国人をめぐる被爆の実態について訴える活動も行ってきた。
小川:
「何のために、伝えていこうと思っていらっしゃるのですか?」