紅白では、出演歌手全員と30分ずつ事前打合せ

隈部 83年から85年まで3回にわたって紅白の白組の司会をなさったんですけど。報道、教養、バラエティー、あらゆるものをやってこられた後、歌謡番組っていうのはなんかギャップがなかったですか。

鈴木 もうギャップどこじゃないですよ。あれね、(昭和)58年だ。まだ覚えてる。58年の9月に白崎さんが来たんですよ。紅白やってくださいって。私が「面白ゼミナール」の主任教授ですって勝手に名乗ってたから、みんな私のことを教授、教授って言ってたんですけど、「教授、紅白やってください」って。でね、私、実はそれまで紅白っての全く見たことも聞いたこともなかったんです。

隈部 ほお。

鈴木 ただ、歌手の方がね、順番に、こう出てきて。歌って帰っていく番組だっていう、それは聞いてたんですけどね。

隈部 うん。

鈴木 それで私、歌手の方も知らないんですよ。「面白ゼミナール」に歌手の方はほとんど出ないんでね。芸能番組をやったこともないし。ちょっと待って、困ったなってね。

それで、なんで私がやんなきゃなんないのっつったら、実は視聴率が60%台に落ちたんで、マスコミにNHKの凋落とか、紅白の価値の下落とかさんざんたたかれている。そこで何とかして70%に回復させたいって、誰かが言ったんだ。

隈部 うん。

鈴木 それ、ちょっと待ってくれってね。NHKってのは視聴率にかかわらず良い番組を放送するのが使命なんで、視聴率を回復するために番組をやるのは、NHKとしては邪道じゃないかな、私にはちょっと出来ないって、初め断ったんですよ。

だけども、他の活字マスコミに攻撃されているのはNHK職員として我慢ができないと。なら、その回復することを目指して、じゃあやるかっていうんで。だから私は番組の司会をしてるんじゃないんですよ、あのとき。

隈部 うん。

鈴木 視聴率を何とかして上げるって、視聴率と闘ってるようなもんですよ、あの3年間。だから例によって台本はいりませんよと。その代わり、歌手の方を知らないから、歌手1人について30分ずつ、顔を合わせる時間を取ってくれないかっつって、歌手の方と全員会って。話、聞きました。

隈部 うん、ほお。

鈴木 だから私が、あの3年間(「紅白」の司会をした1983~85年)しゃべってるのは、全部歌手の方が言った言葉です。例によって、わたしはメモも何も持ってないので覚えて、ああ、この人がこういうこと言ったなって。その中からエキスだけポンって取って。舞台に出た瞬間にそれをしゃべってっていうやり方。

それから、司会を引き受けた後、いろんな人に「去年、紅白をご覧になりました?」、「何が印象に残ってます?」と聞くと。「さあ」って言うんですね、みんな。印象に残ってないんですよ。まだ小林幸子さんも何も、衣装も何もなかった頃ですから。

隈部 うん。

鈴木 それで、よく話を聞くと、それは視聴率が下がってくるのは当たり前で、出てくる方はみんな「善男善女」なんですな。ええ。これをね、何十年間も続けてきた、あれで30年ぐらいかな、(テレビは昭和)28年から始まったんだから※ 。(※「NHK紅白歌合戦」は昭和26年の第1回から昭和28年の第3回まではラジオの正月番組として放送されていた。昭和28年2月からテレビ放送が始まり、同年12月31日に第4回紅白がテレビで初放送された)

隈部 うん。

鈴木 視聴率ってのはその年のね、どのくらいの人が関心を持っていたかの目安だけなんです。それを比較して、NHKの権威が落ちたとか、そういうことをマスコミは言うけど、そんなものに振り回されちゃだめだと。

で、私はつらつら考えて、これを救うには悪役が1人出ることが必要だと。要するに、料理で言うと隠し味みたいなの。それまでの紅白には隠し味がなかったんだと思ってね。

隈部 ほお。