唯一の被爆国でありながら、戦後日本はアメリカの核戦略に組み込まれ、自らも核を求めた時代があった。再び核の脅威に直面するいま、私たちの原点は何だったのかを考える。

■原爆投下を命じた大統領の孫が語る “核の脅威”

20年近く、被爆者やその家族と向き合ってきた男性がアメリカにいる。クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(65)。広島と長崎に原爆の投下を命じた大統領、ハリー・トルーマン氏の孫だ。

クリフトン・トルーマン・ダニエルさん
「投下を命じたのは祖父でしたが、私にそのことを語りませんでした。だから原爆投下を知ったのは、学校の授業でです。原爆を作り、使用し、戦争を終わらせた、と」

――原爆投下に、あなた自身が罪悪感を覚えたことは?

ダニエルさん
「そういう歴史を教わっていたので、罪悪感は一切感じませんでした。しかし同時に、これは祖父の気持ちでもありますが、誇りに思うこともありませんでした」

歴史の教科書で紹介されていたのは、きのこ雲と、荒廃した広島の写真のみ。原爆で苦しんできた被爆者について知ったのは30年以上も後のことだったという。

ダニエルさん
「1999年に、息子が学校から『サダコと千羽鶴』という本を持ち帰ってきました。それは、私が初めて読んだ被爆者個人の物語でした。息子に、ひいおじいちゃんの決断について理解するのはもちろん、原爆で広島と長崎の人々がどんな目にあったのかを知ることも大事だと話しました」その物語の主人公だった、佐々木禎子さんは広島で被爆し、12歳のときに白血病で亡くなった。

ダニエルさんはその後、禎子さんの兄・雅弘さんと交流を始め、2012年と13年に、広島と長崎を訪れた。被爆者たちとの面会を重ね、核兵器のおぞましさへの理解を深めていったという、ダニエルさん。再び、世界を覆いつつある核の脅威をどう見ているのか。

ダニエルさん
「核兵器が増えれば増えるほど、誰かが核兵器に頼ってしまう危険性も高まります。核兵器を使用すればどうなるのか、人々は知っています。しかしいったん始まってしまえば、どうやってそれを止めればいいのか、誰にも分かりません。」

唯一の被爆国である日本でさえも、かつて核に近づいていった時代があった。