「これ(地震)さえなければ…100歳は確実に生きていた」

 1月11日、やよゐさんは朝食のおかゆを、のどに詰まらせて亡くなりました。この日、純男さんはやよゐさんと共に避難所を出て、姉の住む小松市に移ろうとしていた、その矢先の出来事でした。

(蔵純男さん)「これ(地震)さえなければ…。私としては母を看れば100歳は確実に生きていた。こんな震災で…。迷惑をかけたくないと最後は遠慮させたのかもしれない」

 葬儀はできず、火葬を終えて、自宅に戻ったやよゐさん。遺影なき祭壇が、この1か月の混乱を示していました。