2026年4月の制度見直し後、シニア就労は変わったか
就業率に変化はあったか
次に、2026年4月に在職老齢年金制度で年金が減額となる基準額が引き上げられた後、高齢男性の労働供給に変化があったかどうかを見るため、総務省「労働力調査」より、65~69歳男性と70~74歳男性について、過去5年間の4~6月期の就業率と対前年同期比の推移を示した。
2026年4~6月期の65~69歳男性の就業率は65.2%で、前年同期より2.8ポイント増加した。過去5年間の対前年同期比の推移を見ると、2022年以降、プラスマイナス2ポイント以内で小幅な増減を繰り返しつつも、緩やかに上昇傾向であったが、2026年は上昇幅が2ポイントを超え、上昇幅がわずかに拡大した。これに比べて、70~74歳男性の就業率は、2026年4~6月期に46.8%となり、前年同期より1.7ポイント増加したが、2022年以降、同じペースで上昇しており、変化は見られなかった。


就業時間に変化はあったか
次に、在職老齢年金制度の基準額が引き上げられた後、高齢男性の就業時間に変化があったかどうかを確認する。同じく労働力調査より、過去5年間の1週間あたりの就業時間の構成割合を見ると、2026年4~6月期の65~69歳男性は、「35時間以上」が52.2%と、前年同期より1.8ポイント増加したが、2022年以降は微増、微減を繰り返しており、大きな変化は見られなかった。70~74歳男性については、2026年は「35時間以上」が38.1%で、寧ろ前年同期より2.4ポイント減少している。つまり、60代後半、70代前半ともに、在職老齢年金制度の見直し後に、明確に就業時間が増えたとは言えない。

小括
これまでみてきたように、2026年4月から在職老齢年金制度の減額基準額が引き上げられ、直後の四半期には、60代後半男性については就業率の上昇幅がわずかに拡大したが、就業時間には大きな変化はなかった。70代前半男性については、就業率は上昇したものの、過去5年間の上昇幅と変化がなく、就業時間にも大きな変化は見られなかった。
このデータは寧ろ、先行研究とも矛盾が無い。OSHIO et al. (2019) の実証研究は、仮に在職老齢年金制度を廃止した場合は60代後半男性の「引退」という選択は0.7ポイント減少、「フルタイム就業」は1.0ポイント増加、「パートタイム就業」は0.3ポイント減少するという検証結果が示されていた。今回は、制度廃止ではなく、基準額の引き上げであったため、さらに効果が小さいとしても矛盾はない。SHIMIZUTANI et al. (2013) も、過去の制度廃止と再導入の際の労働供給への効果はまちまちであり、むしろ労働市場環境の影響が大きいとしており、制度変更単独の影響は明白ではなかった。
これらの結果は、高齢者の特性を考えても、納得がいくのではないだろうか。筆者の既出レポートでも述べてきたように、特に60代後半以降は、働く動機は収入だけではなく、「健康」や「社会貢献」、「仲間作り」といった要素の比重が大きくなっていく。収入を重視している高齢者も、体調や体力の問題があり、希望通りに働けるわけではない。そのような特性を鑑みれば、高齢者の労働供給を増やすためには、筆者のコラムでも述べたように、年金政策を整えるだけでは強力なインセンティブになり得ず、柔軟な働き方や、身体的負荷に配慮した職場環境の整備などが重要になると考えられる。SHIMIZUTANI et al. (2013) で示唆された労働需要の喚起に加えて、高齢者が「働きがい」や「働きやすさ」を実感できるような雇用政策が必要だと言える。
終わりに
本稿では、2026年4月に在職老齢年金制度の減額基準額が月51万円から65万円へ引き上げられたことを受けて、その直後の4~6月期に、高齢男性の就業状況に変化が見られたかを検討した。在職老齢年金制度については、年金の減額を避けるために高齢者が就業時間や収入を抑える「壁」として、かねて就業抑制効果が指摘されてきた。実際、本稿で既存調査を基に試算したところ、在職老齢年金制度を意識して就業調整している男性は約10万人と試算された。 その意味では、基準額の引き上げは、高齢者がより自由に働ける環境を整える上で重要な制度改正だと言える。
しかし、制度を見直せば、直ちに高齢者の労働供給が大きく増えるとは限らない。今回の分析では、65~69歳男性の就業率は前年同期から2.8ポイント上昇し、近年に比べて上昇幅がわずかに拡大した一方、70~74歳男性では従来の上昇傾向から大きな変化は見られなかった。 また、就業時間については、65~69歳、70~74歳のいずれも明確な増加は確認できなかった。制度見直しから3か月という短期間のデータではあるが、現時点では、基準額の引き上げによって高齢男性の労働供給が明確に増加した、とまでは言えない。
本稿の分析結果は、在職老齢年金制度が高齢者の就業を左右する数ある要因の一つに過ぎないことを示唆している。特に60代後半以降になると、働くかどうか、どの程度働くかは、収入だけではなく、健康や体力、仕事の内容、勤務時間、家庭の状況など、様々な条件によって決まる。 したがって、年金の減額基準額を引き上げることは、働きたい高齢者の就業を妨げる制度上の制約を緩和する効果はあっても、それだけで新たな労働供給を大幅に生み出すことにはつながりにくいと考えられる。
今後、高齢者の労働力をより生かしていくためには、年金制度を働き方に中立的なものにしていくことに加えて、高齢者が無理なく働ける柔軟な働き方の整備や、これまで培った経験や技能を生かせる職務の切り出しなど、働く意欲を引き出し、実際に働き続けやすい雇用環境を整えることが重要であろう。また、企業側に高齢者を活用する需要がなければ、制度上の就業抑制要因を取り除いても雇用増加には結びつかない。先行研究の結果も、この点を示している。
今回確認したのは、制度改正直後のわずか3か月の動きである。今後、データの蓄積を待って、65~69歳男性の就業率の上昇が続くのか、また就業時間や賃金にも変化が表れるのかを引き続き、検証していきたい。
(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 准主任研究員・ジェロントロジー推進室兼任 坊 美生子)