在職老齢年金によって就業調整する男性は約10万人と試算

次に、現在、在職老齢年金を意識して就業調整している男性の人数を試算する。上述したように、「令和4年就業構造基本調査」によると、非正規雇用で就業調整している男性は約100万人である。JILPTの調査によると、就業調整している短時間労働の男性のうち、在職老齢年金を理由とする人は約1割であるため、先ほどの100万人に1割を乗じて、本稿では、在職老齢年金制度によって就業調整する男性は現在、約10万人いると試算する。なお、在職老齢年金制度の影響としては、就業時間を調整しながら働く人だけではなく、そもそも「働かない」という選択をしている人もいると考えられるので、制度によって就業抑制している人数は、これより多いと考えられる。

制度見直しでシニア就労は増えるのか――先行研究から

ここまで、在職老齢年金制度が高齢男性の就業抑制につながっていることを見てきたが、それでは、減額基準額を引き上げると、実際に高齢者の労働供給は増えるのだろうか。実は、先行研究でもこのあたりは必ずしも明白になっていない。

OSHIO et al. (2019) は、厚生労働省「中高年齢者縦断調査」のパネルデータを用いて、国内の高齢者の就業継続に関する意思決定と、年金制度との関係を検討した。その制度のうちの一つが、在職老齢年金制度廃止である。分析では、高齢者が、仕事からの引退を1年先延ばしにすると、生涯にわたって受け取る年金総額や、追加的に支払う税・社会保険料の合計がどうなるかを、個人ごとに算出する変数を作成した。そして、各個人の就業(パートまたはフルタイム)や引退という選択と、労働時間の意思決定に関して、回帰分析を行った。

その結果、65~69歳男性に関しては、在職老齢年金制度を廃止した場合は、「引退」という選択は-0.7ポイント、「フルタイム就業」の選択は+1.0ポイント、「パートタイム就業」の選択は-0.3ポイントの影響があることが分かった。また就業時間については、制度を廃止すると0.3時間増加すると示された。次に、65~69歳女性については、引退 / フルタイム就業 / パートタイム就業の選択にも、就業時間にも、制度廃止の影響は無かった。

つまり、60代後半男性に関して言えば、在職老齢年金制度の廃止が、就業継続や労働時間の意思決定に対して、小さいながらも、正の効果があるが、60代後半女性には無いことが分かった。ただし、この研究は制度を廃止した場合の分析であり、2026年4月に行われたような「基準額の引き上げ」の場合は、効果に差が生じる可能性がある。

実際に、過去に日本で在職年金制度が変更された時に、労働供給がどのように変化したかを検証したSHIMIZUTANI et al. (2013) の研究では、制度変更の効果はまちまちだった。これは、日本で1985年に在職年金制度が65歳以上についてはいったん廃止され、2002年に60 代後半に再導入された政策的経過を利用した自然実験であり、厚生労働省の「高年齢者就業実態調査」の個票を用いて、廃止や再導入の後に、賃金分布が変化したかどうかを検証したものである。

この研究によると、1985年に65歳以上に在職老齢年金の減額制度が廃止される前には、65~69歳男性の所得分布は、減額基準額の直下に集中していたが、廃止後には高所得側へシフトし、分布が変化した。労働者と企業の属性をコントロールしても、同じ結果が得られた。65~69歳女性については、同様の効果は確認できなかった。これに対して、2002年に制度が再導入された際には、65~69歳の男女いずれも、減額基準額直下への所得分布の再集中は確認されず、分布の変化は見られなかった。つまり、制度を廃止した際は労働供給が増えたが、再導入しても同じだけ労働供給が減少したわけではなく、制度変更の効果は非対称的だった。

著者らはこの非対称性の背景として、労働市場環境の違いを指摘している。65歳以上に在職老齢年金制度が廃止された1980年代半ばはバブル期で、労働需要が非常に強かったため、高齢者がより稼ぐ方向に後押しした可能性があるが、60代後半に再導入された2000年代前半はデフレ下で労働需要が弱く、もともと多くの高齢者の所得が減額基準を下回っていたため、所得抑制効果がほとんど観察されなかったと考えられる。従って、制度改革の効果は景気や労働市場の需給環境に左右される、と結論づけている。